カジノロワイヤルの手帖

banの映画感想&小説漫画音楽路上日常雑感。

最近読んだ本のメモ(2024年4月)

最近、読みたい本が手に入りにくくなってる気が…。

 

 

「毒入りチョコレート事件」アントニイ・バークリー創元推理文庫

 

毒入りチョコレート事件 (創元推理文庫)

 

20年ぶりくらい2回目。6人の好事家によって示される事件の6通りの解決。一つ解決が開陳されるごとに、事件のあらたな一面が明らかにされ、次第に隠れた真相が見えてくる…という凝った趣向。100年も前にこういう前衛ミステリが書かれていたというのはなかなか凄く、近年バークリーの他の著作もつぎつぎ訳され読めるようになってるので、これはぜひ他のも…と思って探したら他の代表作「第二の銃声」も「試行錯誤」も品切れでプレミア価格とは…。ぐぬぬう。

 

 

 

 

 

「探偵小説の鬼 横溝正史:謎の骨格にロマンの衣を着せて」(別冊太陽)

 

探偵小説の鬼 横溝正史: 謎の骨格にロマンの衣を着せて (313;313) (別冊太陽)

 

初読。ムック本ですね。横溝正史という稀代の戯作者の人物像と作品を、詳細な年譜と資料、関係者の回想で浮き彫りにする一冊。特に正史の御息女、お孫さんによる回想録が貴重で、正史と乱歩が久しぶりに会って遊び半分で書いた連句の話などとっても微笑ましい。その他初版本の画像や雑誌掲載時の挿絵、往時の貴重な写真など図版も多く読み応えがあります。序文に小林信彦(名著「横溝正史読本」の編者であり、生前の正史に相当量のインタビューを行って貴重な証言を引き出している)を引っ張り出しているあたりも心にくい。横溝ファンのみならず、日本の「探偵小説」が好きな人は必読。

 

 

 

 

F.W.クロフツ「クロイドン初12時30分」(創元推理文庫

 

クロイドン発12時30分【新訳版】 (創元推理文庫)

 

初読。クロフツといえば「樽」、「樽」と言えばクロフツみたいに言われがちですが、もう一つの代表作とされるのがこれ。ミステリ界では倒叙三大傑作の一角とされています。倒叙といえばコロンボとか古畑任三郎ですが、一口に倒叙といっても「犯人と探偵の頭脳戦」「犯人はどこでミスをしたのか?という興味」「犯罪者の心理」というようにいろいろなアプローチの方法があるわけで、そのやりかたに独自性や旨味があると言えましょう。

 

でこの「クロイドン」なのですが、犯人は1920年代の世界恐慌のあおりで会社が倒産の危機にある経営者。金策に走り回るもついに打つ手がなくなり、有能で忠実な社員を路頭に迷わせる瀬戸際に。先の短い老人よりも、篤実で未来ある社員たちの生活を取るべきではないか!ということで遺産狙いの叔父殺しを決意するのですが、このあたりの犯人の社会的な追い詰められ方はなかなか世知辛く、読んでてつらいものが。犯人にたいしてつい「がんばれー」と声をかけたくなってしまうあたり、なかなかうまい。

 

そこから実際に犯行に至るまでのサスペンス、叔父が死んでからの捜査状況に一喜一憂するあたりの心理描写、窮地に陥ってさらに犯行を重ねる時のポイント・オブ・ノーリターンを越える心理、といったサスペンス描写が秀逸で、ぐいぐい読まされます。

 

最終的には捜査の手が犯人に伸びるわけですが、それ以後は話が法廷劇に移行したり、最後のフレンチ警部の解明がまた詳細かつ丁寧で、いかにして論理的に犯人に目星をつけ地道な捜査を続けていったのか、というあたりの説明がエレガントで、この部分だけは倒叙でありながら本格のような読み味。という盛りだくさんの贅沢なミステリです。とっても面白かった。個人的には「樽」よりこっちが断然好きですね。

 

 

 

 

カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」(ハヤカワepi文庫)

 

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

 

初読。1990年代のイギリス。全寮制の学校で成長してゆく子供たちの青春物語…ですがどことなく現実離れした雰囲気と、どこか普通ではないディティールが積み上げられ、隠された残酷な運命が明らかにされます。

 

青春小説とも、ディストピアSFとも、広義のミステリーとも読める本ですが、残酷な設定ながら登場人物は決して抵抗せず(抵抗しないように教育されている?)、ある種の諦観をもって運命を受け入れ、そのなかで精一杯に生きようとします。その心の動きを静かに丁寧に描き、一読忘れがたい印象を残します。

 

限りある人生を懸命に生きようとするいじらしさ、その枷のなかで他者を愛することの美しさと苦しさ。と同時にそれを強いている作中社会の残酷さ。読みながら、その残酷に読者自身も加担しているのではないか、起こっていることは違えど、これを読んでいる自分もどこかの誰かの何かを搾取して生きているのではないか、という気さえしてきます。それはこの小説の中の世界がしっかりと現実世界の延長に根ざしているからで、もしかしたらこういう世界もあり得たかも知れない、と思わせる描写の力によるものでしょう。

 

ラストシーンの儚い光景と、その後の主人公がたどるであろう運命を思うと、涙なくしては読めない一冊。そうさせるだけの細かな心理の動きや、登場人物の心情が書き込まれた優れた小説だと思いました。

最近観た映画のメモ(2024年3月 その3)

デューン 砂の惑星 PART2』(2024)監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ

 

 

現在公開中。第一部で一家を滅ぼされ、身重の母とともに砂漠の民に拾われたアトレイデス家の嗣子ポール(ティモシー・シャラメ)。砂漠の民と同化しながら、仇敵ハルコンネン家への復讐の機会をうかがい、同時に救世主としての宿命にも目覚めるのであった…というお話。

 

うっかり前作の復習を怠って鑑賞に臨んだところ、ベネ・ゲセリット?クウィサッツ・ハデラック??といった用語の意味をすっかり忘れており、脳内記憶庫を大あわてで検索しながらの鑑賞。おかげで内容についていくのが必死だったので、そのへんしっかりおさらいしてから観ましょうね。

 

まず映像は凄いです。広大な砂漠、巨大な砂虫、重厚なメカ、それらが繰り広げるスペクタクルをアートのような美麗なルックで埋め尽くす3時間。眼福です。これは劇場で見る価値があります。IMAXなど、できるだけ設備の整った環境で観るのがおすすめ。

 

しかしどうも一本の映画としてはいまいち乗れず、別に何が悪いわけでもないのになんでだ。やたら長いからかな、とか設定忘れてたからかな、としばらく考えていたのですが、どうもこれはポールの宿命とか心境の変化を読み取り損ねていたためっぽい。

 

ポールは救世主として砂漠の民を率いていく運命を自覚しつつ、しかしその結果多くの民が苦しむ未来が見えている。しかしそれを知らない周囲は彼を救世主として祭り上げようとする。その葛藤をどう乗り越えていくかがドラマのキモ、なのかと思いきや、そこが謎の青い水を飲んでバッチリ覚醒!葛藤スッキリ!となってしまい「ええんかそれで」と感じてしまったところに問題がありそう。内的葛藤を自らの力で止揚するのではなく、薬物で安易に解消してしまったように見える、というのがどうも自分の引っかかったところらしい。

 

この辺、原作を読んでいれば、ドラッグによる自己の拡張とか開放とか、書かれた当時のカウンターカルチャーに根ざした思想が垣間見えるのかもしれませんが、すいません原作読んでないです。話としては限りなく神話っぽいので、そういう葛藤の解消とかなくても全然ええでしょう。神話なんだし。という気もします。そういうのを求める映画でもないだろうと。

 

むしろ、契った彼氏、つまりポールが人混みに流されて変わっていったため最後は自分から離れていくのをやりきれない気持ちで見守るチャニ(ゼンデイヤ)の気持ちを軸に観たほうが、すんなり受容できるかも知れませんね。

 

で、これPART3まであるんかな?ありそうだな〜。

 

 

 

 

ワンダーウーマン』(2017)監督:パティ・ジェンキンス

 

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DCユニバースの映画は全然観たこと無いマンでした。しかしうちの奥さんが執拗におすすめしてくるのと、ネトフリで観られるのが3月末まで!ということで腰を上げて鑑賞に挑んだわけです。

 

もうなんというか、ガル・ガドットちょうステキ!ガル・ガドットかっこいい!以外の感想が出てこない。容姿、立ち居振る舞い、決めポーズ、どれをとっても女神ぃ!としか思えない。なのでわりとゆるめのプロットとかCGの臭いが微妙にとれないアクションとかパンチのない悪役とか、そういうのはどうでもいいからガル・ガドット出しなさい!出したか!よし!とこれだけで納得できてしまう。これくらい高出力の役者がいるとそれだけで満足できちゃう映画ってあるんだなあ…と感無量です。

 

そんなガル・ガドットの光芒の影になり男性陣はだいぶ存在感がうすいのですが、クリス・パインは気の良いあんちゃんオーラを放っていて良かった(語彙力)。

 

 

 

『007/ゴールドフィンガー』(1964)監督:ガイ・ハミルトン

 

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4〜5年ぶり、通して観るのはこれで5、6回目かな?ご存知007の映画のフォーマットを確立させたシリーズの重要作。さすがに60年前の映画だけあっていろいろ時代を感じますね。ボンド側も悪役側もなんというか、鷹揚というかコセコセしてないというか、今の目でみるといろいろ詰め甘くね?と思っちゃいますが、そこはクラシックな味わいとして賞翫したいところ。

 

七代目ボンドがアーロン・テイラー=ジョンソンに決まりそうで、撮影開始は秒読み、時代設定は冷戦の頃(つまり一種の時代劇ですね)になるかも、なんて噂もあるので、もしかしたら「ゴールドフィンガー」もリメイクされたりして、そうなったら細部を見比べて、みたいな楽しみかたもできるかも知れませんね。

 

最近読んだ本のメモ(2024年3月)

面白くても読んでると眠くなるのはなぜですか。歳ですか。

 

 

 

「ザ・キンクス」(1)榎本俊二(ワイドKC)

 

ザ・キンクス(1) (コミックDAYSコミックス)

 

初読。超絶のエログロ「えの素」、底なしの深淵「ムーたち」に続く榎本俊二の家族ギャグマンガ。人は死なないし脱がないし分身もしない、という日常の範疇にギリギリ踏みとどまりながら、しかしどこかワンダーな世界に読者を連れて行きます。話の面白さに加えて、シンプルかつ繊細な描線が生み出す愛しい世界、躍動感ある構図とポーズと書き文字で描かれる一コマ一コマがすごい。漫画なのに音が聞こえ動きが見えてきます。かと思えばときおり見せる狂気をはらんだ何か。コマ運びのテンポも痛快。そして一見ぐーたらに見えてやるときはやるパンクなお母さんがちょう素敵。傑作なのでこれはヒットしてほしい。売れろ〜!そしてはやく2巻を!

 

 

 

 

 

 

「死の接吻」アイラ・レヴィン(ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

死の接吻 (ハヤカワ・ミステリ文庫 20-1)

 

34年ぶり2回目。久しぶりすぎてすっかり細部を忘れてました。(以下ネタバレしてませんよ)。どうせなら何もかもすっかり忘れて読みたかった…。意外な展開に思わずうわっと叫んでしまうミステリの名作。財産目当てに富豪の娘三姉妹に接近していくモラルの欠落した男の倒叙ミステリですが、第一部では男を「彼」とすることにより、視点の変わる第二部では「彼」の正体が誰かを探す犯人当てになる贅沢な構成がすごい。そこからサスペンスフルな第三部に流れ込んで劇的なクライマックスに至る描写も力が入っており、当時23歳の若者が書いたとは思えない完成度。…というような前知識以外は一切仕入れずに読んでギャッとなってほしい一冊。

 

 

 

ドグラ・マグラ夢野久作(角川文庫)

 

ドグラ・マグラ(上) (角川文庫 緑 366-3)

ドグラ・マグラ(下) (角川文庫 緑 366-4)

このギョッとする装丁もすっかりおなじみ

 

5〜6年ぶり、通読は7〜8回目かな。書かれた当時の日本語文章の形式を網羅し尽くそうとしているかのような、多種多彩な文章。独白、会話、阿呆陀羅経、随筆、談話、演説、論文、活弁、シナリオ、調査書類、インタビュー、古文、新聞記事、短歌、書き置き…。特に文語で書かれた部分が読み進める上でのハードルとなってますが、それ以外の部分は流れ出る呪文のような久作調でリーダビリティそのものは実は高いのです。問題は、一体今自分は何を読まされているのか、この文章はこの物語の中でいったいどのような役割を担っているのか、ということを把握して読むのが難しいこと(特に初読時)。なので理解のためには再読三読を要求されますが、それだけの魅力が詰まった小説です。

 

 

 

「長いお別れ」レイモンド・チャンドラー(ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

長いお別れ ハヤカワ・ミステリ文庫 HM 7

 

ちょっと訳あって10年ぶりくらい3回目の通読。ハードボイルドの真髄は筋を通すことだと教えてくれる一冊。

 

最近観た映画のメモ(2024年3月 その2)

アカデミー賞は毎年楽しみですけど、いらん騒動抜きでみたいですね

 

 

 

『内海の輪』(1971)監督:斎藤耕一

 

<あの頃映画> 内海の輪 [DVD]

 

初見。松山で呉服屋の女将をやっている岩下志麻。東京で考古学者をやり義父の力で将来も安泰な中尾彬。二人は互いに配偶者がいながらダブル不倫生活を満喫していました。今度岡山で発掘調査があるから出てこないか。あらじゃあ尾道あたりでしっぽりと。二人はウキウキしながらそれぞれの家庭を欺いて密会旅行を楽しみますが、出先で嫉妬深いお手伝いさんに不倫現場を激写されたあたりから関係に暗雲が垂れこめます。楽しいはずの旅行が砂を飲んだみたいな重苦しい雰囲気に変わり、男愛しさのあまり「家庭も将来も捨てて自分と一緒になって!あとついでにお腹には赤ちゃんが」とベトついてくる岩下に中尾はうざい指数がデンジャーゾーンに突入。自分の将来を守るために岩下の殺害を決意して…というお話。

 

岩下志麻中尾彬という日本映画界でも屈指の顔圧を誇る二大俳優が、ゴジラVSコングもかくやの目力対決を繰り広げるこの映画。原作が松本清張の不倫サスペンスだけあって結末はハッピーになろうはずもなく、最初は毛ほどもなかったほころびが、展開につれて次第に取り返しのつかない亀裂に広がってゆくその過程を存分に味わえる居心地の悪いメロドラマとなっています。「不倫旅行の途中で知り合いにバッタリ」「旅程の延長を妻に電話で言い訳」といった不倫ヒヤリハット事例に肝を冷やしながら、確実に近づいてくる破滅への階段。「妊娠」の一言でその階段に乗っている自分に気づいた中尾の心境の変化と、それを察する岩下の演技の斬り合いがこの映画のキモです。

 

宿でひとしきり揉めたあと、ひとりスンスン泣きながらご飯を食べる岩下のいじけた後ろ姿にコクがあり、いじらしさや愚かしさや愛の深さを背中で表現している名演技です。しかし翌朝姿を消した中尾を追って近くの山林を半狂乱で探し回り、勢い余って崖をよじ登り始めるのはどうなのか。『影の車』で見せた熱いオロオロ演技を超える取り乱し演技はさすがの迫力ですが、松林のそばを走り回るシーンからカットがピッと変わったらもう崖に張り付いているというモンタージュエイゼンシュテインも予測不能の効果です。飲んでいたお茶が霧状になります。

 

というようなどうかしてる感はありつつも、主演二人のぶつかり合いで最後まで魅せるサスペンスでした。あなたもアイラインが涙で融けて墨流しみたいになってる岩下志麻の眼光で射すくめられるとよいでしょう。この迫力にはさすがの中尾彬も食われ気味でしたよ。

 

 

 

博士の異常な愛情』(1964)監督:スタンリー・キューブリック

 

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32年ぶりくらい二回目。冷戦真っ只中の米軍ではとある将校が陰謀論に染まった結果共産主義者の抹殺を決意。指揮系統をガン無視してソ連付近を哨戒しているB-52に核攻撃を命令します。それを知った米国首脳部がいかにして事態を収拾するかを皮肉たっぷりに描いたブラックコメディです。

 

いや面白いんですよ。アメリカ大統領が困ってソ連首相に電話するんですが、今にも世界が破滅しそうなのに初めて文通相手に電話するみたいなぎこちなさだったりして、こういうセリフのおかしさが際立ってるんですが、やはり言葉のギャグだけあって、真価は英語ネイティブの人じゃないと味わい尽くせないのでは…という気もします。

 

それより、事件の原因が陰謀論大好きな目覚めちゃったお方、というあたりが2024年の今日的にアツく、こういうひとが政府や軍の中枢にいることが割とあり得る話となってきたのもあって、おかしさを通り越して薄ら寒い。かつてギャグとして描かれた狂った状況が今は現実に近いというこの恐ろしさ。冒頭の「こんなことはぜったいないのであんしんしてください 米軍」という意味のテロップがもはや虚しいという体たらく。そういう意味で今観るべき映画なのではと思います。急に放送したNHK-BS、ナイスです。以前から思ってましたが編成にやっぱりメッセージを込めてるのでしょうかね?いいぞ!

 

 

 

『ARGYLLE/アーガイル』(2024)監督:マシュー・ヴォーン

 

 

現在公開中。エリーはスパイ小説「アーガイル」が大人気のベストセラー作家。ある日列車に乗っていたところ突然襲撃を受け、自称スパイの男エイダンに救われます。どうやら自作のスパイ小説が何の加減か現実になりつつあり、著者であるエリー自身が狙われているらしい。えっどういうこと?と思う間もなく次々と送られてくる刺客。エイダンは見た目はパッとしないおじさんですが、腕は立つのでエリーを守ります。しかし彼自身もなにかを隠しているらしい。そしてアッと驚く真相が…。

 

X-MEN:ファースト・ジェネレーション』『キングスマン』でスパイ映画への深い愛を示し「こいつは信頼できるぜ!」と一部好事家からの支持をガッチリ得ていたマシュー・ヴォーンの新作はまたまたスパイ映画。予告編を見るかぎり、なんかハーレクイン・ロマンみたいな話だな〜、女流作家とスパイってなに?『ロマンシング・ストーン 秘宝の谷』かな?と勝手に想像していました。

 

しかし…始まってみると、どうも話がハッキリしない。架空であるはずのスパイ小説が現実になっていくという話ですが、いったい何故そうなっているのか、一体いま映画の中で何が起こっているのか、観ていていまひとつピンとこない。そうでなくても「ヒロインとスパイとの逃避行」みたいなコテコテのラブロマンスなのでは、と思われ、これは…マシューやっちまったか?もしかしたらいま自分はものすごい地雷を踏んでいるのか…?と鑑賞しながら顔が真顔になってしまうわけです。

 

ただし、中盤までは。

 

ここから先は重大なネタバレになるので語りませんが、ちょうど映画も後半に入る辺りで話の真相が語られ、なるほど、そういうことだったか!と膝を打ってから映画は俄然持ち直しました。話としては以後が本番でエンジンもフル回転なのですが、ちょっとでも見せるとネタバレになってしまう以上予告編でも触れられないので宣伝の人は頭を抱えたんじゃないか。こっから先が見せ場たっぷりなのにねえ…。

 

キングスマン』でキレキレのアクションを見せたマシュー・ヴォーンの手腕は健在で、後半の「煙幕ダンス」「原油ス◯◯ト」とかもうさいこう!ギャハハ!と大笑いですし、エリー役のブライス・ダラス・ハワードも大変チャーミングなんですが、しかしこれやっぱり予告編には出せないよねえ…。むずかしいよねえ…。興行もあちらじゃパッとしなかったみたいですし、続編の話が立ち消えになっちゃわないか心配です。

 

というわけで、鑑賞後は大変満足したわけですが、前半の語り口の未整理さ、何が起こっているのか観客を置き去りにしがちなところが惜しかったですね。ところどころ作りが荒っぽいのも勿体ない。なお、予告編では猫があちこちに出てきて、しかも扱いが雑なのでご心配の向きもあろうかと思いますが、猫は死なないので安心して御覧ください。

 

 

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最近観た映画のメモ(2024年3月)

黄龍の村』(2021)監督:阪元裕吾

 

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初見。ネトフリで評判になってるらしく、尺のコンパクトさ(66分)もあって観てみました。キャンプに出かけたウェ〜イ度の高い男女8人( ま た か )。お決まりのウェ〜イ行為を野放図に繰り広げるため観客のイラつきメーターは早期のレッドゾーン突入を実現します。しかし山の中で車がパンクしてこれは困った、ということでお近くの村落に助けを求めたところ、そこは恐るべき因習がはびこる恐怖の村なのでした。という話。

 

…とだけ書くと、今どき激安DVDでももう少しひねった設定にするだろ、という惰性感あふれる凡作ホラーのようですが、そう見せかけて実は…という映画なので可能な限りネタバレを避けて観ていただきたい。全編にみなぎる低予算感と演出&脚本&演技の荒っぽさは如何ともし難いものがありますが、そこを勢いとアイディアでゴリ押ししてくる怪作です。

 

とはいえホラーとしてザラッっした不穏さを感じさせるものもあって(以下はネタバレじゃないですよ)、村の因習とか儀式とか、まあお決まりの感じのが出てくるんですが、これがなんというか、伝統も品位も感じさせない絶望的なまでに雑で安いディティール。例えば因習にまつわる儀式がヤンキーのバーベキューみたいだったり、お供え物にマヨネーズがかけてあったり、村人も田舎のヤンキーが成長しないまま年だけ取ってしまったような佇まいで、現代社会の安っぽい部分と田舎の閉鎖性が悪魔合体したみたいな、観ていて暗澹たる気持ちになるディティールで描かれています。そのどうしようもない安さの為に人が死ぬ、というやりきれなさと不条理さ。平山夢明のイエロートラッシュ小説みたいな恐ろしさがあります。

 

この安さが指し示すものは文化からも豊かさからも取り残された共同体の、垢じみた臭いのする閉鎖性です。『脱出』や『悪魔のいけにえ』に見られるようなアメリカの田舎のあの恐ろしさを日本の山奥に翻案してみせ、しかもそれは今の日本にありふれているものでもあるんだぜ、ということを感じさせてヒヤリとさせます。

 

というような感慨も後半の超展開で吹っ飛びますが、それ自体が今の日本の行き詰まった状況へのカウンターであるところが面白かったです。

 

 

 

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『ザ・キラー』(2023)監督:デヴィッド・フィンチャー

 

 

初見。なにげにネトフリオリジナルの映画は初めてかも知れん。ミヒャエル・ファスベンダーはプロの殺し屋。ちょっと前からターゲットを狙撃すべくポイントに籠城し、俺って凄かろ?的なニュアンスを匂わせながらプロフェッショナルとしての哲学をモノローグで語り倒します。ようやくターゲットが現れたので満を持してこれを狙撃するも、うっかり失敗。何しとんの。さっきまで並べ立ててたゴタクは一体…となるなか殺し屋は一流の逃げ足を見せ無事国外に脱出。アジトに帰りますがそこには失敗を彼の死で贖おうとする組織の手がのびており、というお話。

 

最初は『メカニック』(ブロンソンの方)みたいな殺しのマエストロっぷりをフィンチャーのタッチで存分に楽しめる映画かと思ってたんですが、どうも思ってたんと違う。こっちの方は確かに手段も手際も洗練されていて、モノローグでイキり倒すだけのことは、まあ…あるのですが、肝心な場面でちょくちょくやらかすので観ていてこいつほんとに大丈夫か。という気分になってきます。

 

完璧な殺し屋など存在しないし、やらかしにもアドリブで対処できてこそプロ、ということかもしれませんが、その割にモノローグだけは常にスカしているので、もしかしたらこれってそういうギャグなのかな?というような疑惑も生まれてきます。しかしフィンチャーはふざけた感じは一切出さずクソ真面目にいつもの冷たいタッチで話を進めており、いくつか出てくる殺しの現場も十分スリリングなので、見ているこっちはいったい何を感得しながら観ればいいのか、ちょっと宙ぶらりんな気持ちになってしまうのも確か。

 

最後は組織との対決を終えた殺し屋のモノローグで締められるのですが、さすがに自らのやらかしで面倒くさい後始末をするハメになったのを反省したのか、俺も結局凡百の男だよ的な殊勝な結論に達していて、職業殺し屋の世界も実際のところは地道で面白みがなく普通の仕事と変わらないものなのだよ、みたいな皮肉が込められているのが、やっぱりこの映画はギャグだったのかな?と考えてしまう所以です。

 

ティルダ・スウィントンが同業者として出てきますが、死を覚悟したあとキープしてある自分のボトルを出させて高そうなウイスキーを惜しげもなくガブ飲みするシーンがあり、うわっ羨ましい飲み方してなさるうう、とそこはヨダレが出ました。おわり。

 

 

 

 

 

小さな巨人』(1970)監督:アーサー・ペン

 

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初見。オロCの映画じゃないよ。昭和もすっかり記憶の彼方ですね。養老院で暮らす御年121歳のダスティン・ホフマン。彼が語る波乱万丈にも程がある人生。波乱万丈過ぎてこれじじいのホラじゃねえのかという雰囲気もありますがそれがまたいい。10歳の彼は両親をネイティブ・アメリカンの襲撃で亡くしますが、途方に暮れたところをシャイアン族に拾われ育てられ、白人ながら家族同様に育てられます。成長して白人との戦いに襲撃したところを今度は白人に拾われ、そこから先は白人社会で詐欺の片棒をかついだりガンマンデビューしたり結婚したりまたシャイアン族に出戻ったり、はしばしで同胞や家族を白人の襲撃で失ったりと散々な目にあうのでした。

 

それまでの西部劇においては、「インディアン=白人の敵」という固定観念で語られていた所を、いやこれ白人の横暴でしょう、という視点で見直した歴史の転換点にある重要作で、アメリカン・ニューシネマの代表作ともされている映画です。そうした歴史的意義は観ていて十分感じられますが、その一方で西部を舞台にしたホラ話としての側面がおかしく、飄々としたダスティン・ホフマンの演技も相まって、ヌケヌケとした語り口のコメディとなっています。

 

また白人によるネイティブ・アメリカン迫害もはっきり描いていて、欲と偏見と驕りに凝り固まった白人よりも、万物をあるがままに受け入れ自然と一体になって暮らすネイティブ・アメリカンのほうがよほど人間味にあふれており、白人とネイティブ・アメリカンの戦いは明らかに強者による虐殺でしかなく、さらに彼らの境界を行き来する主人公からすれば、同胞であるはずの白人からもネイティブ・アメリカンからも襲われる大不条理でしかありません。狂言回しである主人公を通じて、争いの無意味さが浮かび上がってくるのでした。

 

脇の登場人物がよく、出てくるたびに体の一部が欠損していく詐欺師マーティン・バルサム、一見敬虔なクリスチャンですが実はいつもムラムラしているフェイ・ダナウェイなど妙におかしい。シャイアン族の酋長で主人公の養父を演じたチーフ・ダン・ジョージは風格ある容貌と懐の広い人間性、物静かな表情の中に見せる深い愛情と滋味で、この映画の美点を一身で表現する名演でした。