カジノロワイヤルの手帖

banの映画感想&小説漫画音楽路上日常雑感。

凄くありふれた内容の、全然ありふれてない映画『Keiko』

Keiko 【初DVD化】

 

監督:クロード・ガニオン。主演:若芝順子。ケイコさんは京都で一人暮らしをする23歳の会社員。映画館で痴漢にあったり、高校の恩師を誘惑してとりあえず処女を捨ててみたり、惚れた男とイイ仲になるものの妻子がいると知って別れてみたり、会社の若い男に迫られてもイマイチその気にならなかったりと、どうにも満たされない日々を送っておりました。その隙間を埋めるように会社の先輩と同性愛の経験を経て共同生活を送るようになり、楽しい毎日に気持ちは満たされるのですが、先輩が優しすぎてこのままじゃあたしダメになっちゃう。と親の勧める見合い相手と結婚するのでした。おわり。

 

 

続きを読む

しげるは関係なかった『愛のメモリー』

愛のメモリー Blu-ray

監督:ブライアン・デ・パルマ。出演:クリフ・ロバートソン、ジュヌビエーブ・ビジョルドジョン・リスゴー。1959年。実業家のクリフ・ロバートソンは愛する妻(ジュヌビエーブ・ビジョルド)と一人娘と幸せに暮らしておりましたが、突然妻と娘が誘拐されてしまいます。警察は犯人を追い詰めるものの、のんきな捜査方針がたたってこれを取り逃がしたうえ、追跡の途中で車が爆発して犯人妻子全員が死ぬのでした。…16年後。残されたクリフさんは罪の意識に苛まれつつも実業家として成功。共同経営者のジョン・リスゴーとイタリアへ営業旅行に出かけます。そこで出会ったのがなんと妻に瓜二つの女性サンドラちゃん(ジュヌビエーブ・ビジョルド)。いまだ過去に囚われているクリフさんは思わずサンドラちゃんをナンパ。アッという間にイイ仲となり周囲の反対を押し切って強引に結婚しようとします。しかし結婚前夜、16年前と同じような手口でまたも花嫁が誘拐されてクリフさんは半狂乱に!さてどうなる?というお話。

 

続きを読む

風呂敷たたみ成功『X-MEN: フューチャー&パスト』

X-Men:Days of Future Past
監督:ブライアン・シンガー。主演:ヒュー・ジャックマンマイケル・ファスベンダージェニファー・ローレンスジェームズ・マカヴォイ。近未来。そこでは対ミュータント用の究極兵器”センチネル”が猛威を振るい中。人類対ミュータントの戦争は泥沼化して世界は荒廃し、ミュータントはセンチネルの攻撃にさらされて殲滅の危機に瀕していました。そこでミュータント側は一計を案じ、過去の世界にウルヴァリンヒュー・ジャックマン)を送り込んでセンチネル開発を阻止しようとするのです!というお話。



予告編



旧三部作と、そのプリクエルであるリブート版という、異なる時間軸で展開していた2つの流れを、ついに一枚の風呂敷に畳み込んできたという野心作。リブート版の『ファースト・ジェネレーション』がこだわりにあふれた傑作だったので、それとテイストが異なる旧三部作を統合しちゃって大丈夫なのか!と不安が拭えませんでしたが、だいたい大丈夫でした。以下メモ的に感想を。


・『ファースト・ジェネレーション』が凄く良かったのは、60年代クロニクルというテーマを徹底してしたところで、雰囲気、ストーリー、道具立てとその意匠に60年代への愛が溢れており、しかも当時の世界情勢をストーリーに反映していて、見ていて大変説得力があったのですが、今回そういう傾向はちょっと薄め。ウルヴァリンちゃんが送り込まれるのは1973年の世界で、きちんと当時の政治や風俗は描かれているものの、こだわり方という面では前作ほどの濃さはありません。前作の60年代スパイ映画っぽいエンドタイトルとかサイコーだったのですが、今回はそういうのも無し。まあ監督が変わってるので趣味の違いでしょう。ただミュータントがベトナム戦争に送り込まれていっぱい戦死してる、という設定は非常にアメリカ映画っぽいというか、もう70年代のアメリカ回願ときたらベトナム入れとかないと死ぬ、というアメリカ映画の強迫神経症を見る思いです。しかしあれだけ戦闘能力が高いミュータントが戦死するベトナム戦争ってどんなんだ。ベトコンにもミュータントがいたのか。


・そういう不満はありますが、物語の方はちゃんと風呂敷がたためてて、たたみ方も乱れなくビシッとしててノリとアイロンが効いているというか、ちゃんとしています。とはいえタイムトラベルものなので、因果律とか前後の矛盾とか異なる世界線とか、そういうところを考えだすと細かいところが気にならなくもないですが、その辺は考えるな感じるんだ方式でよろしくお願いいたします。


・基本的にキャラ燃えのシリーズなので、どのキャラが好きかで燃え度が変ってきます。今回は前作にひき続きプロフェッサーX、マグニートー、ミスティークの三角関係が軸なのでこのお三方が好きならば大丈夫。ミスティークは全編ほとんど青いままで登場ですが、青メイクでも素顔のジェニファー・ローレンスのイメージが感じられてメイクさん頑張ったな。ウルヴァリンは主人公というよりも狂言回し的な役割で、鉄の爪の出番も少なくて残念ですが、オマエはまあピンでも映画に出とるし今回はこれでよし。その他の皆様はほとんどモブかカメオ出演かぐらいの存在感で、まあ数えると現行のEXILEくらいの人数になってるのでそれもやむなしとは言えますが、その中でもお子様ランチのプリンのような貴重な存在感で頑張るのがクイックシルバーちゃん。超高速で動けるという冗談のような能力をフルに活かし、「ザ・ワールド」みたいな時がほぼ止まった世界での好き放題を存分に見せてくれて大変ゆかいです。出番が前半だけだったのが大変残念。


・エンドロール終了後に続編の存在を匂わすシーンがちょっとだけ入ってるのですが、マーベルの原作を知らない自分は全く何のことか分からず、違う映画のシーンじゃないのかコレ、と思いました。あれ、誰?


・アクションシーンは頑張ってます。ブライアン・シンガーX-MENの一作目の頃に比べるとこういうのが上手くなったなあ…と思いましたが、これはジェイソン・ボーンシリーズ以前か以後かの違い、という気もしますね。

ナウなヤングの渡世人入門『股旅』

監督:市川崑。主演:小倉一郎、尾藤イサオ、萩原健一。時は天保のころ。渡世人として世間をその日暮らしのノリで渡り歩く三人の若者たち。彼らは一宿一飯の恩義のためにつまらない喧嘩の助太刀などのケチな仕事をこなしていました。渡世人といえば聞こえはいいものの、出で立ちはボロボロでどうみても乞食一歩手前。彼らは明日の予定もおぼつかないフラフラした生き方で流れ流れたあげく、なんとなく野垂れ死んでいくのでした。終わり。


予告編


股旅と言うと、どうしても粋でイナセでニヒルな渡り鳥っぽい何かを連想してしまいますが、そういうスタイリッシュなところからは2万年くらい離れたところにあるのがこの映画です。とにかく汚い。編笠はボロボロですし服はツギハギ。頭はボーボー。足は真っ黒。そういう汚い男が3人、だんご3兄弟のようにつるんであっちでフラフラ、こっちでヘドモド、あてどもなくフラつきまわって最後にしょうもなく死ぬという、いやあ江戸の昔から無軌道な若者の生態ってヤツは全然変わってないじゃんか映画。この映画が作られた1970年代前半はまだヒッピー文化のまっただ中で、この映画における股旅野郎もつまらない百姓生活を拒否し気ままな暮らしを指向した結果の渡世人稼業であり、まあ言わば彼らは天保のヒッピー、江戸時代のフーテン。映画もその辺を強く意識しております。


ただ、股旅の暮らしといっても思ったほど気ままなものではなく、むしろ渡世人として行きてゆくための、渡世のしきたり、義理というものにがんじがらめに縛られていて、そこから逸脱しようものならあっという間にボコにされ死ぬ、というあたりが非常に皮肉が効いてて面白いのです。この映画はそうしたあまり知られてない股旅の生態をつぶさに描いており、大変興味深い。例えば任侠映画でよくある仁義の切り方。流れ者がその辺一帯を仕切る親分のところに世話になるときの挨拶の仕方ですが、これにも渡世人同士にしかわからない厳格な仕儀があって、なにもテキトーに「おひけえなすって」「なすって」と言ってりゃいいいものではなく、厳密なプロトコルに則って行わないと大変失礼であるばかりか信用すらされず従って一宿にも一飯にもありつけず、言い間違いなどがあれば怪しのものとして殺されることもある、というから大変です。


なのでこの映画の主人公たちも間違えないように必死で丸暗記して、調子もへったくれもなく暗記した口上を読み上げる様が可愛らしいというか危なっかしいというか。他にも、頂いたゴハンの正しいお代わりの仕方とか、一宿一飯の恩義の返し方とか、喧嘩の際はムダに死なないためにどうやって角が立たぬよう手を抜くのか、みたいなHow To 股旅情報が満載で明日から渡世を目指すナウなヤングにピッタリの内容です。いやあこういう未知の世界を垣間見せてくれる映画っていうのは無条件に面白い。しかも映画の中でそれをやっている3人がボンクラ揃いで、仁義の口上は頼りないし喧嘩でも腰が引けてるし、世話になった親分には騙されるしでいちいちブラックなコントみたいな状況になっており、クククと黒い笑いがもれます。


つまらない百姓ぐらしなんかまっぴらだ。渡世人になって面白おかしく生きるのよ。という意識の低い動機でこの業界に入ったものの、こっちはこっちで厳しいし世知辛いし、仕事はせこいのばっかりだし、その割には命をやたら張らされるし、実はすんごいブラック業界だよねという現実。その中で流されるまま生きて締まらなく死んでゆく若者。こういうのは姿形を変えつつも昔から今に至るまで繰り返されてるよね、と映画は突き放して語ります。1973年の映画ですが、その内容は2014年の今にも十分通じるものがあって、その普遍性を股旅という存在に見出した脚本が秀逸です。なんと市川崑谷川俊太郎の筆。あの詩人が!


余談。渡世人のしきたりの中でも際立って奇妙なのが、親分さんに最初の挨拶を入れるときのいわゆる「軒下の仁義」と呼ばれる一連の問答。客とホストの互いの面子を立てるために回りくどいほどの遠慮が炸裂しており、その複雑さが安易な偽物の出現を防ぐプロテクトの役割をも果たしているという、ただでさえ厄介な日本の挨拶文化の中でも異形レベルのものですが、それだけに面白い。下の動画でその奇妙さの片鱗を味わうことができるので興味のある方はぜひ。これ、その場で適当に遠慮しあってるのではなくて、こういう順序で遠慮をする/されるという段取りが最初から型として決まっているという、まさに遠慮の文化の極みですね。うっかりトチったらどうなるんだろうとか、いろいろ想像するだけで面白い。凄いな〜。