カジノロワイヤルの手帖

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パフューム ある人殺しの物語

パフューム スタンダード・エディション [DVD]
監督:トム・ティクヴァ。これはですねえ、何とも言えない映画というか、強いて言うなら暗黒喜劇というか、とにかく撮り手がマジを狙ったのかギャグを狙ったのかそのキワキワの線の上を危うく綱渡る映画でした。主人公のジャン=バティストは生まれながらに匂いに対して超人的な感覚を持った男。ちょっと鼻を利かすだけで遠くの物事まで手に取るように判るという便利ガイでしたが、生まれ育ちが悲惨(魚市場で産み落とされ腐った魚まみれになる→人買いに売られて孤児院でコキ使われる→年頃になったので工場に売られてまたコキコキ使われる)だったためか匂い以外には心を開かない性格になってしまいます。そんなおり、仕事で初めてやってきた花の都パリ(といっても18世紀なのでめちゃくちゃ汚いです)で出会った果物売りの娘の匂いに惹かれ、フラフラと彼女をナチュラルにストーキング。忍者のように彼女の後をつけてクンクンしコーコツとなってましたが、うっかり娘に気付かれ騒がれそうになったのでハズミで彼女を殺してしまいます。


彼は調香師となって匂いを創るよりも、自分をコーコツとさせたあの匂い(つまり女性の体臭)をキャプチャすることに執着し、調香の技術を学ぶと次々に女を殺してこだわりの製法でついにあこがれの匂いをキャプチャすることに成功。しかし理想の香りを創るまでは材料がまだ足りんのですわ。ということで次々と女を殺してはラード漬けにして匂いのエッセンスを蒸留するのでした。この過程、人殺しをしていると言う陰惨さが希薄で、まるでナスでも摘んでヌカ床に漬けるかのごとき気安さで描かれ、主人公のジャン君が己の天才ゆえに善悪の概念を超越している。匂いのコト以外は全く眼中(というか鼻中)にナシ!というか善悪ってなに?という状態にあることを強く感じさせます。


しかしこれだけポンポン娘が死ぬと放っておかないのが世間様。わしの娘を殺したのは誰だ!などとブチ切れた方々はついにジャン君をひっ捕らえ、全身12箇所の骨を砕いた上に縛り首にして死なす殺すトドメをさす。と気炎を上げます。そして処刑の日。街中の人間が大挙して押し掛け死刑を見物に来ている中、死刑台に引っ張りだされるジャン君。これまでか。死んだ娘たちも浮かばれまいて、と思っていたらおもむろに一瓶の香水を取り出すジャン君。それは…もしや…というワケでジャン君が12人の娘の体臭から調合した究極の香水をハンカチに付けて一振りすると、あろうことか周囲の人間の様子が一変。さっきまで「殺せ!殺せ!」とかわめいていたオヤジが涙を流して「天使だ!天使がいらっしゃった!」と叫びだすではありませんか。さっきまでは「この悪魔め」とか言ってた司教も涙を流さんばかりにコーコツとなって「天使じゃ!天使じゃ!」と大よろこび。殺せ殺せの気炎を上げていた群衆も香水の魔力にやられ手のひらを返したように歓喜し、あろうことかその場にいた全員が服を脱ぎ始めて街いっこ規模の大乱交パーティ状態にハッテン。いやあこのシーンはすごいですよ。ガチで何百人ものエキストラの方々がお脱ぎになられて集団でハッスルしてますから。さぞや撮影現場は楽しいことになっていたのではないか。ちょっと自分も混じってみたい。い、いやそれはいいのですが、ジャン君は自分が創った究極の香水の凄まじい威力に別段感動したりとか驚愕したりとかは全くなく、むしろ当然だみたいな虚無的な顔で悠然とその場を去るのでした。


このあとお口アングリのオチが待ってるのですがそれも含めて、やっぱりこれはグロテスクでブラックな喜劇ですねえ。ジャン君を産み落とした母親から孤児院の鬼ババ、工場の鬼親方、調香の師匠(ダスティン・ホフマン…やっぱりキャスティングの決め手は鼻の大きさでしょうか?)まで、いずれもジャン君と縁を切った直後に実に間抜けに死んでゆく、といった展開からも、この映画が悪フザケの塊であることが伺えます。それを大マジメに撮ってるところがオカシイ。主人公のジャン君のひたすら匂いのコトしか考えてません的な無表情さもまた虚無的にオカシイ。究極の香水のとんでもない効果も物語の結末も「んなアホな」という感じでオカシイ。でも思い返すとこの映画はシリアルキラーの話なんですね。そういうおぞましい話に、ホラに近いブラックな笑いを加えてヨーロッパ的なグロ趣味でコーティングした怪作でした。あと「匂い」がテーマという映画もなかなか珍しいのでそういう意味でも怪作です。