カジノロワイヤルの手帖

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「テースト・オブ・苦虫」(1)(2)町田康

テースト・オブ・苦虫〈2〉 (中公文庫)
テースト・オブ・苦虫〈1〉 (中公文庫)
人間、生活しているとどうも腑に落ちない事があったり納得できないことに遭遇したりしますが、その局面で「何か腑に落ちんけど、そんなことにこだわっていても仕方ないし、先に進もう」という人と「ちょっとまてオレは納得いかんどういうことだそこへ直れ」という人と、大体この二つに人間は分かれると思います。で、町田康は徹底して後者の人で、納得いかない人、物、事を俎上に上げて徹底して解剖を行い、納得いかない事の陰に隠れている欺瞞やごまかしを追求します。そうしなくてはいられない人ではないかと思います。


だいたい実生活でこういうことを行っていると煙たがられるものですが、この人の場合、欺瞞やごまかしへの痛罵が、まずパンク歌手になるという行動で実行され、ついで文筆家になって小説や随筆などで真実を追求することとして昇華された。という非常に幸福な形での性格発揮で、もしパンク歌手や文筆家になっていなかったらさぞかし因業なおっさんになって才能を発揮する事なく酒を飲みクダをまくなどの非常にはた迷惑な存在になっていたのではないかと思われ、彼を世に送り出した天の采配にホッとした次第です。


このエッセイ集はそうした「腑に落ちない事」の解剖と、その裏に隠れている欺瞞への怒りが核になっていますが、核は核としてそれを語り上げる文体が絶妙かつ無類の日本語感覚でゲラゲラ笑える代物になっており、ストレートに出すと痛いところを突かれて後ろめたい気持ちになる欺瞞の糾弾が、笑いにくるまれてスラスラ読まされてしまいます。思うに町田康はこのエッセイ集では「丘の上の愚者」たらんとしているフシがある。普段は道化を装ってホラにちかい体験談や日本語感覚でドカドカ笑いをとりつつ、その実言っている事はたいへん痛いところを突いているという、そのバランスが絶妙。いろんな意味で町田康にしか書けないスタイルのエッセイです。