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カジノロワイヤルの手帖

banのスットコドッコイ映画感想&小説漫画音楽路上日常雑感。

チェンジリング

オリジナル・サウンドトラック チェンジリング
監督:クリント・イーストウッド、主演:アンジェリーナ・ジョリー。実話。なんてこった。まあ予告編観た段階から重苦しい映画だな〜というのは分かっていた訳ですよ。愛する我が子の失踪。必死に探す母アンジェリーナ。5ヶ月後、ようやく息子が発見されたと思ったらこれが息子とは全然違う別人!どっかの馬の骨のちっちゃいの!「この子はウチの子じゃありません!」と抗議するも仕事がめんどくさい警察は「気のせいです」の一言で捜査打ち切り。どう考えてもおかしい話なので母アンジェリーナは証拠を固めて警察を告発しようとしたところ、己が仕事のスーダラぶりが露呈するのを恐れた警察はあろうことか母アンジーをガイキチ認定して精神病院に監禁するのでした…というヒドいのを通り越してこれは一種のアメリカンジョークではないかとすら思う警察の胸糞悪い腐敗っぷりに母アンジー頑張れ!と観客が思うまでが前半です。『ウォンテッド』のアンジーなら0.5秒で警察内は阿鼻叫喚の事態でしょう。しかし今回のアンジーはごく普通の母なので刺青も銃も出てきません。そして泣くとマスカラが溶けるもんだから映画の半分は目の周りが墨流しみたいに真っ黒です。ですがまあここまでは全てが想定の範囲内であり、物語も演出もアンジー入魂の演技も人の期待を良くも悪くも裏切りません。予告編で出て来るのはここまで。ここから先は予備知識がないと物語が一体ドコに着地するか全く分からないという作劇上のサスペンスが炸裂します。以下盛大にネタばれてるので改行。観てない人は読んじゃダメよ。
























ここから話は、アンジーの息子を含む20人近い子供を誘拐し殺した最悪の連続殺人犯のほうにも分岐します。一方では警察権力と戦う神父(ジョン・マルコヴィッチ)と協力して誠意の無い仕事をさらす警察を法廷でコテンパンにし、もう一方では逮捕された連続殺人犯から息子の生死や居場所を聞き出そうとするアンジー。この二つの戦いがカットバックされる中、母アンジーの行動力は「息子を捜し出したい」という一点によってのみ駆動されており、警察腐敗と戦う事も連続殺人犯を裁く事も彼女の中では実は等価で、彼女の状況をめぐる様々な人々や事件…警察の怠慢、腐敗、政治的陰謀、精神病院での理不尽な虐待、権力からの脅迫、そして息子をさらった殺人犯、彼の世界中を舐め切ったような振る舞い、そしてそのすさまじい所行、彼のアンジーに対するメフィストフェレスのような悪質な精神的揺さぶり…などなど、様々な展開が矢継ぎ早に繰り出されますが、そのすべての事象はアンジーを照らして「母の強靭さ」という影絵をスクリーンに投射する光源のようなものに過ぎません。ひとつひとつの要素はそれ単体だと正直なとこ少々弱い。警察の腐敗はある程度紋切り型だし、それが露呈する経緯はボンクラの極みですし、連続殺人犯の残虐性は実際の事件の十分の一も描かれていません。しかしそれらはひとえにアンジーの強靭な母性を陽刻するために削られた版木の木屑と言えます。それだけにアンジーの筋の通った母っぷりはしっかりと描かれ、アンジー自身の熱演もあってやはり最後には静かな感動を呼ぶのです。


肝心の息子の行方は最後の最後まで明かされません。「彼女は生涯息子の生存を信じ、探し続けた」という考えようによっては残酷極まりない一文をもってこの映画は幕を閉じます。ひどいっ。ひどいわっ。ひどすぎるわっ。…と思うかも知れませんが、しかしこの映画は終盤に、観客の心にスッキリとした落とし前をつけ、ちゃんと悲惨さから解放してくれてから幕を閉じるのです。ある意味最悪の結末でありながら、しかし観客の心にはしっかりと前向きな感動が残る。ここに一筋縄ではいかない作劇の巧みさを見ます。イーストウッドあなどれじです。監督・主演をこなした『グラン・トリノ』にも期待大。『ミスティック・リバー』も『ミリオンダラー・ベイビー』も観てないですけど、これは観なくちゃだわ。