カジノロワイヤルの手帖

banの映画感想&小説漫画音楽路上日常雑感。

蝿の王

蝿の王 [DVD]
監督:ハリー・フック。主演:大量のガキども。某国の陸軍幼年学校の生徒たちを乗せた飛行機が南洋に墜落。救命ボートで無人島に漂着した彼らは、ほぼ子供たちだけのサバイバル生活を始めるのでしたが、そこはそれヤンチャざかりの小学生。年長のよい子リーダーが必死に秩序を作りわずかな希望に賭けて助けを待つのに対し、ライバルの悪たれ少年は自由過ぎるサマーキャンプを謳歌。彼らは文明と秩序を遵守するよい子派と、暴力と欲望のままに暴走する悪い子派に分裂して対立。悪たれ少年の方は「ウチは豚捕まえたよ」「肉食わしてやるよ」「こっちは楽しいよ」などとといった旺盛な勧誘活動で良い子派分子を次々に自分の派閥に編入。次第に形勢不利になる良い子派。しかし良い子派の方には火を起こすことのできる唯一のアイテム「メガネ」があり、その点では悪い子派の方は生活的に圧倒的に不利。というわけでご想像の通り話は子供同士の仁義なき戦い・無人島死闘編に突入します。悪たれの方は豚の血と炭で顔にメイクを施し、木を削って槍を作り、貝殻でネックレスを作り、自分たちの力の示威として切り落とした豚の首を柱に刺してさらすという自然に帰り過ぎたライフスタイルになってしまい、もはやヤンチャを通り越して婉曲に書くところの「土の人」の域です。


まあよく「子供は無垢よねえ。ホホホ」なんてことを申しますが、無垢という事はつまり倫理という枷が刷り込まれていない事をも意味する訳でして、そういう無垢な子供が意味も無く花をちぎったり虫を踏んづけたりカエルを殺したりなんてことは皆様小さい頃にご自身でご経験なすっていることと思います。あれは無垢であるがゆえの無意識の残酷でして、それが証拠にいい歳になってから意味も無く蝶の羽根をちぎったり蛙の尻に息を吹き込んだりする人はあまりいません。いやいないこともないですがその場合だいぶ気まずい人扱いされます。これは倫理という人間社会中でも最低限度の枷を我々がはめられた結果であって、その枷の上にルールや道徳や公共心や法律といった、人間が社会生活を営むためのさらに高度な枷が積み重ねられて、やっと一個の社会人が完成、という仕儀となるわけです。


その最低限の枷「倫理」すらまだ固まっていない子供たちが、制御する者も無く野に放たれたときに、そこに発露するものは何か。ということをこの映画は強烈に描いています。それは枷によって人間の中に閉じ込められていたはずの残虐さ、傲慢さ、欲深さであり、加うるに子供ならではの思慮の浅さ、経験のなさがそれに拍車をかけ、島は地獄の黙示録』みたいな熱帯地獄絵図と化すのでした。とりもなおさずそれはあまねく全ての人間が持つ残酷さを子供という存在に仮託してより純化して描いているものであり、そのことに気付いた観客はサバイバルするガキンチョたちの間に世の中の縮図を見て慄然とするのです。


…と、ここまではおそらく原作となった小説の功績かも知れません。しかしこの映画はそういったえげつない要素を、時に美しい風景に、時に幻想的な炎の光に、時にグロテスクな豚の頭に、といったシーンに差し挟んで、まことに心に残る映像として表現しています。当初はデヴィッド・ボウイの幼年期みたいでお好きな方の琴線にはビンビンくると思われる美少年だった悪たれ小僧が、「蝿の王」となってゆくに従い塗り過ぎたマスカラが涙で流れたごとき醜悪な形相となり、手下のガキンチョとともに理性を吹っ飛ばしたあげく仲間の一人を血祭りに上げる場面の鮮烈さは忘れがたい。さも当たり前のように描かれる恐るべき暴力。しかしそれが誇張されずに子供の無邪気の延長線上に描かれていることがなおのこと戦慄を呼びます。


物語はハッと息をのむような結末を迎えますが、そのときの子供たちの表情…。これがオイラにとっては一番印象に残る場面でした。この子たちは一体これからどうやって生きてゆくのだろう。もう後には戻れない域にまで踏み込んでしまった彼らは…。その想像は余りに苦く、いたたまれないものでした。傑作です。今もって知名度が低く、あまり評価されていないのが不憫。求む再評価!