カジノロワイヤルの手帖

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インセプション

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監督・脚本:クリストファー・ノーラン。出演:レオナルド・レオ様・ディカプリオ、渡辺謙、その他揃いも揃ってイイ味の役者たち。他人の夢に侵入して、そのアイディアを盗むという究極の産業スパイことレオ様。大企業トップである渡辺謙の夢に侵入して企業秘密を抜き取ろうとしますがうっかりトチってしまい、追い込みを掛けられます。が、追いつめられた土壇場で謙さんから「今回の件はチャラにしてやるから仕事受けろ」とリジェクト不可能なご注文が入ってしまいます。敵対する財閥の次期後継者の夢に侵入し、潜在意識を操作してその財閥が自滅するように仕向けると言う、意識への「植え付け」(インセプション)をやってくれんかね。くれるだろうね。でなければ君は一生家に帰れませんよ。どうする?というわけで早くおうちに帰って子供の顔を見たい一心のレオ様はチームを集めてこの前代未聞のプロジェクトを立ち上げるのでした。


クリストファー・ノーランが9年がかりでまとめ上げた脚本だけあって、中味は複雑怪奇を極めておりますが、劇中の夢のルールさえ飲み込んでしまえば理解はそれほど難しくないでしょう。新しいのは「夢の中で眠って夢を見る」をいう行為を何階層にもわたって行うことで、しかも深い階層に潜るほど時間の進み方が相対的に早くなり、第一階層では瞬きほどの時間が第三階層では一時間ほどにまで引き延ばされるという設定。これを巧みに活用して、各階層で同時進行するアクションをカットバックさせてサスペンスを盛り上げるという前代未聞すぎる内容になっています。さすがにあのややこしい『メメント』を作った人だけのことはある。この発想はほとんど変態の域です。というか変態!ヘンタイよ!キャー!


夢の中なのでさぞや奇々怪々な映像が見られるのだろう、という期待もあるかと思いますが、夢にリアリティをもたせるために「夢を設計する」という発想もあって、夢ならではの奇怪な映像と、キッチリ設計された騙し絵のような映像が同居しており、これも新しい手触りです。ペンローズの階段」の実写化をやってたりしてて目眩がしそうですよ。


役者陣はいずれも好演。レオ様と渡辺謙マイケル・ケイン以外は馴染みのある顔が少ないですが、いずれも魅力的なキャラ揃いで強い印象を残します。レオ様の相方のジョゼフ・ゴードン=レヴィットは「仕事はいつも丁寧に」的なビジネスマン風味の律儀さが印象的。夢の舞台を作り上げる「設計士」=アリアドネ役にハリウッドの蒼井優(といま決めた)ことエレン・ペイジ。んまあ可憐。この役名にアリアドネという名前をつけるあたり、オイラの中の中二魂が大いに刺激されます。夢の中で誰にでも化ける「偽造師」にトム・ハーディ。この人の頼れる兄貴っぽさがたまりません。そして渡辺謙。もう堂々の貫禄で、名実ともにハリウッド・スターです。伊丹十三の『タンポポ』におけるとっぽい兄ちゃんが今やこのよう世界的男優になるとは誰が予想したでしょうか。


と言う訳で必見!の傑作。観終わったあと、夢から覚めたようにボーッとしてました。もう一回観たいなこれ。


以下全く遠慮なくネタをばらすので、たたんで改行します。注意!観てない人は読んじゃだめよ。






































この映画、表向きは夢の中を舞台にしたシュールなサスペンス・アクションですが、裏のストーリーとして、レオ様のトラウマと、隠された過去と、子供達が待つ家へ帰りたいという願望が織り込まれています。レオ様は最愛の妻と夢の中で散々遊びたわむれ、夢時間で50年という長い年月を過ごしたあと、目覚めて現実世界に戻ってきますが、妻はこの現実すら夢ではないかという疑念に囚われてしまい、その「夢」から醒めるために死を選びます。結果的に妻を死に追いやったレオ様の罪悪感が、夢の中では妻の姿に形をかえて現れ、行く先々でミッションの邪魔をしてレオ様を夢の世界に閉じ込めようとしてきます。夢で妻に会うたびに、覚醒後小さなコマを回すレオ様。コマが倒れればこれは現実であり、回り続ければこれは夢の中である、という夢と現実の識別装置。コマが倒れるたびに、何かから解放されるようにホッとするレオ様。


そのような障害がありつつもミッションはからくもコンプリートされ、ラストでレオ様はついに家に帰り、子供達に再会します。子供達を抱き上げ幸せに浸るレオ様…の後ろで回り続けるコマ…それは倒れそうで倒れず、倒れるのかな…それとも回り続けるのかな…とハラハラした瞬間画面カットアウト。スタッフロール開始。


この映画の一番衝撃的な部分はここでした。おそらくここについては観た人がそれぞれの解釈を持つと思います。というか、解釈しなくてはいられないように作られてる。まだ見てませんがネット上ではおそらく侃々諤々の解釈合戦が繰り広げられていると思われ、それは血湧き肉踊るものがあるでしょう。


オイラの解釈はこう。このシーンは「ここは現実と見せかけて、実は夢かも知れない。さて、どう思う?」という謎かけですが、その答えは…「わからない」が一番正確だと思います。それは、いみじくも劇中台詞として語られている通り「これが夢か現実かは見ている本人さえわからない」のであり、その台詞を演繹してゆけば、あの少々唐突にも思えるラストシーンにもそれは当然言えるわけで、ならばこの映画は徹頭徹尾夢の中の出来事だったかも知れず、真実に肉薄したのは夢の最下層でレオ様が妻の幻と対決したところだけかも知れない。そしてもう一方の可能性として、映画の出来事は映画の通り現実であり、ラストシーンもまた現実世界だったのかも知れない。どちらの可能性も等分にある…と言うことが出来るかと。たぶん。


たとえコマが不自然に回り続けていたからって、画面がカットアウトされた次の瞬間コマは倒れていたかも知れませんし、そもそも「コマが回り続けていたらそれは夢」というルールさえ夢の中の幻かも知れません。そうやって観客に揺さぶりをかけて、「映画と言う夢から覚めたあと」にも「今自分がいるこの場所は夢なのかもしれない」と思わせる…。クリストファー・ノーランは、あのラストシーンのカットアウトだけで、レオ様が妻に対して行ったような植え付け=インセプション=を観客にも施した。とさえ言えるのではないか。そう考えると、我々観客の足下をすくうような、実に挑戦的な映画だなあ、と、思います。問題作であり、傑作です。ハリウッドの商業映画量産システムの中で、このように作家性バリバリの作品を作るのが許されているクリストファー・ノーラン。『ダークナイト』と、続く『インセプション』で、今現在もっとも重要な映画作家の一人になったと思います。すげー。