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ドーナツのような映画『ゾディアック』

ゾディアック 特別版 [DVD]
監督:デビッド・フィンチャー、出演:ジェイク・ギレンホールロバート・ダウニー・Jrマーク・ラファロゾディアック、お前は誰だ…!犯行予告は謎の暗号文!血に染まるシスコの街で、いま、刑事と記者の追跡が始まる…。と、70年代の東宝東和であればこういうコピーがポスターに踊るであろうあらすじですが、実際はビミョーにニュアンスが違います。ゾディアック事件という実際の事件、さらにそれを追った一人の風刺画家のルポを下敷きにしているだけに、同じフィンチャーちゃんの映画でも『セブン』のような病的でケレン味のあるタッチではなく、事実をなぞるような淡々としたそれ。しかも物語は、ゾディアックの犯行よりも、それを追う画家、記者、刑事の人生にフォーカスしており、題材から連想されるようなサイコ・サスペンスとはひと味違った仕上がりになっております。それを期待して観ると肩透かしを喰らいますが、そこはそれ、映画の中盤までに姿勢を立て直して、視点を「ゾディアック病に冒された人々の運命」にシフトしてみるとモリモリ面白くなるのでお試しあれです。


日本の迷宮入り事件で「下山事件」というのがあります。あれを追い始めた人々が例外無く冒されるのが「下山病」で、それに罹患した人は寝ても覚めても事件のことが気にかかり全てを投げ打ってのめりこんでゆくといいます。その伝で行けば、この映画の三人の追跡者はいずれも重篤なレベルでゾディアック病にかかっており、なかでもジェイク・ギレンホール演じるところの風刺画家は仕事も嫁も子供も投げ打って事件を追い始め、行く先々で事件をほっくり返してはKY扱いされますが、そこはそれ病膏肓に入りまくってるので全く気にしません。ついには堪忍袋が爆発した嫁に「なんでそんなに事件を追うの?」と訊かれて「いやスッキリしないんだよ」と直球で答えるのでそのKYっぷりはある意味アッパレと言えますが、嫁の気苦労は無限大です。


マーク・ラファロの刑事も他の事件の合間にゾディアックを追い続けますが、警察機構の縦割り体質と縄張り意識が障害となって捜査は難航の上に難航。年月がいたずらに過ぎて捜査への執念は摩耗し、ロバート・ダウニー・Jrの記者はゾディアックを敵に回したことから犯行の標的にされ、ストレスで酒とクスリが進んだため生活は荒れ荒れで遂に編集長にふぁっくゆーをかまして自主退社。地方新聞で細々とゾディアック関連の記事を書きながら酒とクスリで生き腐れてゆくのでした。だれだこの役にロバート・ダウニーJrを当てたヤツは。


こうした取り憑かれた男たちの物語がある反面、事件の主体であるゾディアックちゃんは存在感が薄く、というよりまるでブラックホールのようなマイナスの存在感で、この映画の中心にありながらそこだけポッカリと穴が空いているような感じです。まるでドーナツ。ドーナツが中心の空虚ゆえにドーナツたり得てしかも美味しくなったように、この映画も中心たるゾディアックを敢えて空虚な存在にすることで、逆説的に事件のアウトラインを浮き彫りにし、ゾディアックの存在を一層不気味なものにしております。そしてゾディアック病にかかった人たちは、何かに取り憑かれたようにその空虚を埋めようとするのです。


この映画の凄いところは、ノンフィクションにもとづいた内容ながら、登場人物を実名で出した上に、推定犯人をほぼ名指しに近い形で示していることで、ここにアメリカ映画の骨太さを見ます。ハリウッドが詰まらなくなったと言われて久しいですが、こういう骨太の作品を作れる気概はまだあるんだなといたく感動した次第です。