カジノロワイヤルの手帖

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本筋に関係のないところで泣いてしまう『ファインディング・ニモ』

ファインディング・ニモ [DVD]
監督:アンドリュー・スタントン。ここはどっかの海の中。カクレクマノミのマリーンは愛する嫁と孵化間近の卵(大量)に囲まれて幸せの極みにいましたが、通りすがりのサメに嫁と卵をペロリといかれて呆然自失。しかし躾のなっていないサメは卵をいっこ食べ残していたのでした。マリーンは生き残ったこの子にニモと名付けそれはそれはそれは大事に大事に大事に育てますが、大事さも余っては過保護に成り果てます。学校に行く年頃になったニモは「とうちゃんウザいー」と学区外に一人で出るという根性だめしをしていたところをダイバーに捕獲されビニール袋に詰められて海の上へ。愛するマイサンを奪われた父ちゃんは狂乱。前後の見境を忘れて愛する息子の奪還に向かいますが、しかしそこは普段からイソギンチャクに隠れて生きるカクレクマノミの悲しさ。こんなちっぽけな魚に一体何ができる?でもなんとかしなきゃ!というお話。


いやオイラも人の親となったいま、こういう親子が生き別れになってしまう話にはめっぽう弱くなってしまい、ニモがさらわれて父ちゃんが一人になってしまうくだりは観ていて非常にツラく、ああ何てことだ愛するマイサンと生き別れてしまうなんてこの世にこんなツラいことがあっていいのだろうか。ツラい。ああツラい。観るのやめよう。とDVDの停止ボタンをあやうく押しそうになりましたが、そのマイサンの方はかじり付くように画面を凝視していたのでハタと思いとどまり事なきを得ました。


まあそのようなバイアスがこちらに掛かっているので観るのにも力が入ります。父ちゃん頑張れ!とは言っても父ちゃんは今までイソギンチャクに隠れて生きていた一介の小魚なので一体どうすればいいのか途方に暮れまくりです。しかしそこはマイサンを愛するパワーで闇雲に突き進んだところ、サメに襲われたりクラゲに刺されたりの大冒険をしつつもなんとか息子に近づいていくのでした。頑張れ父ちゃん!


そのような父ちゃんの頑張りに皆が心打たれ、「父ちゃんがニモを探しています」という情報が口コミでうわっと広がってゆくあたりの描写が感動的です。いやこの映画的にはべつにここは感動しなくてもいいとこだとは思いますが、しかしオイラはここのくだりが一番グッと来てしまった。なぜみんなそんなにも善意に溢れているのか。なぜそんなにも思いやりに満ちているのか。オイラが住んでいるこの現実世界のどうしようもなさから見れば奇跡のような温かい世界が広がっていて、いやもちろんこれは映画ですしCGですしファンタジーですし徹頭徹尾作り物でそれは判り切ってるんですけれども、それでも自分が心の底でこういう温かい世界を渇望していることに気付かされてしまう。テレビをつけりゃ胸クソ悪いニュースだらけで、ネットを見ても叩きに炎上と、人間と人間が互いをすりつぶし合って骨の軋む音しか聞こえないようなこの現実世界に比べたら、この映画の善意に満ち溢れた世界はなんて温かいのか。今自分の居る世界からはあまりに程遠く、手が届かなく、それゆえに美しい。


まあそのような本筋にあまり関係ない部分について主にこっちの都合で感動していたわけですが、色々あって父ちゃんはニモの居場所を探り当て、ニモはニモで試練を乗り越え、「過保護はいかんよね」「父ちゃんの言うことはちゃんと聞かんといかんよね」と互いに成長して完。という実にディズニー的な予定調和ワールドのうちに映画は完結します。そこに至るまでの過程がたいへん面白くスリリングに描かれているので娯楽作としてはまったく無問題でした。ビジュアル的には観ててなんだか閉塞感があるなあと言う気がしていたのですが、まあ海の底という舞台がもともと遠方の見えない視界の狭い世界なのと、肺呼吸野郎である人間からすれば息の続かない水中であるという点で、この点はこの映画の舞台が根底に持っている宿命かもしれません。時々出てくる海上や地上の方に開放感を感じるのは我々が水中に棲まない種族だからでしょうか。まあ自分はDVDで観ちゃったので、劇場やブルーレイで観た場合はまた印象が違ってくるのかも知れません。