カジノロワイヤルの手帖

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濃厚な80年代み『ときめきに死す』(1983)

ときめきに死す Blu-ray

 

 

監督:森田芳光。出演:沢田研二樋口可南子杉浦直樹。ある新興宗教組織に雇われ、北海道の田舎の一軒家を守る医者(杉浦直樹)。そこに一人のテロリスト(沢田研二)が送り込まれてきます。医者の任務とは、このテロリストの生活を全面的に世話し、きたる有事に備えて彼の健康を管理することなのでした。裏社会での生活に疲れて流れてきたと思しき医者。そして、酒もタバコも女もやらず、ひたすらストイックな鍛錬に励む寡黙なテロリスト。そこに組織のコンピューターがはじき出したもうひとりの要員として、コールガール(樋口可南子)が送り込まれてきます。3人はつかの間の静かな生活を送りながら、組織からの司令をひたすら待つのでした。その一方、組織のコンピューターが暗殺対象として指定してきたのは、当の新興宗教の教祖その人で…。

 

 

83年の公開時から気になっていた映画ですが、観たのは2020年の今が初めて。ものすごく当時の匂いを感じる映画です。映画はその時代その場所の雰囲気を切り取って冷凍保存するものですが、年月を経てなおその時代の匂いが鮮烈に蘇ってくる、そのような映画というのは実は限られているのではと思います。

 

 

この映画はその際立った例でしょう。あらすじに書いたようなシチュエーションとはいえ、新興宗教についても、テロリストについても、思想的な背景はおろか動機すら全く描かれません。そもそも無視されていると言ってもいい。物語は表層だけを追い求め、裏にあるはずの事情や思惑を追求せず、不穏さを漂わせながらストーリーを淡々と綴っていきます。裏書きの欠落した表層だけが、ただの道具立てとして思わせぶりに消費されていく…。この表層の掬い取り方、解らないものをあえて掘り下げない物語との距離の取り方に、濃厚な80年代みを感じます。

 

 

70年代までなら、主人公の内面や思想、動機を追求し、なぜそのような行動を取るに至ったかを明に暗に描写しようとするでしょう。90年代なら、それをパーソナルな主題に落とし込み、個の物語を全体の物語として象徴させた上でさらにエモーショナルに迫ってきたことでしょう。しかし、80年代に作られたこの映画は、物語を掘り下げず、筋書きの表層だけを謎めいて示す、という作劇に徹しています。この空虚感が愛おしいくらいに80年代。濃く語るよりも、ニヒルに漂わせる時代。あの頃はこんなのがカッコよかったのだ、という反省も気恥ずかしさもひっくるめての、2020年代からの俯瞰とノスタルジー。しかもそれが妙に心地よかったりするのです。

 

 

杉浦直樹の9:1

 

 

沢田研二のテロリストは、本人の面のような表情も相まって謎めいておりますが、海で水着姿になったときなど筋肉も少なく腹回りに至っては肉が余り気味で、今現在の視点から見ると「絞ってこんか!」と小言の一つも漏れます。ただこのテロリスト、生活能力があるのかすら疑われるデクノボウで、車の運転もまともにできない。役立たずの殺し屋という設定なのでこれはこれで正解なのでしょう。医者の杉浦直樹は汚れ仕事も厭わないタフガイ的な役回りなのですが、育毛剤の塗布が足りなかったのか9:1の微妙な髪型がハードボイルドさを滅殺しておりこのキャスティングはちょっとどうなのか。とはいえヌメヌメとした真意不明な中年の不気味さは大変良く出ており、髪型とのハーモニーとも相まってこの映画の不穏さをいや増しています。

 

 

演出もまた徹頭徹尾虚無感に徹しており、ときには映像を捻じ曲げてまで虚構感を突きつけてきます。暴力的な場面のあとに意図的に挟まれる裏焼きの映像。交通標識が明らかに鏡文字になっているのを隠そうともしません。と思えば、三人がレストランでテーブルを囲むシーン。カットが切り替わるとどう見ても三人の位置関係が入れ替わっているのですがそれを意図的にやっている。さらにその背景に無意味に暴力を振るう人間の姿が写り込んでいる。すごいのはドライブのシーンで、北海道の白々とした森の中、車を走らせる3人。その走り続ける車の周りをカメラがゆっくりと360度回り込みます。ちょっとこれどうやって撮っているのかわからない謎ショットですが、青ざめた色味と相まって現実離れした浮遊感を醸し出します。冷たく突き放したような作り物感。撮影の前田米造の手腕が光ります。ひたひたと浮遊する音楽(塩村修)も虚無感たっぷりで、ことにメロディを奏でるベルの音色(DX7?)がもう赤面するほどに80年代。

 

 

ラスト。沢田研二は教祖が北海道の田舎町に巡行してきたところを狙って凶行に及びますが、まるで訓練されていない素人丸出しの動きで教祖に近寄り凶行におよぶ前に捕縛されてしまいます。いままでの訓練はなんだったのか。とはいえ現場は騒然とします。そこから逃げ出した教祖をまた別のヒットマンが待ち構えておりこれを狙撃するのでした。沢田研二は実は囮であり、あらかじめ報われないことが決まっていた捨て駒だったのです。それを悟った沢田研二は何も言わず自らの手首を噛み切って壊れたスプリンクラーのような血しぶきにまみれ死ぬのでした。この犬死に感。空虚感。

 

 

まるで北野武の『3-4x10月』『ソナチネ』のプロトタイプを観ているような手触りです。これらの映画もひどい虚無感と痙攣のような暴力描写が同居する不気味な映画でしたが、『ときめきに死す』はそれを先取りしたかのようで、もしかしたらものすごく後世に影響を与えた映画なのかも知れません。北野武がこの映画を観た可能性は非常に高いと思います。

 

 

ときめきに死す

ときめきに死す

活魚感『テンタクルズ』(1977)

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生頼範義先生!

 

 

監督:オリバー・ヘルマン。出演:ジョン・ヒューストン、ボー・ホプキンス、シェリー・ウィンタースヘンリー・フォンダアメリカのとある海辺の街。ここの海で不可解な変死が相次ぎます。死んだ者たちは内蔵や骨の髄を何やら強烈な力で吸い尽くされていたのです。事件を追うベテラン新聞記者のジョン・ヒューストンは最近このあたりで開発工事をしている企業が怪しいと睨み、そこの社長(ヘンリー・フォンダ)をしつこく追求して嫌がられる一方、海洋学者のボー・ホプキンスに調査の協力を依頼。学者は工事現場近くの海底で大量のマグロが逆立ちしたまま死んでいる現場を発見し、何らかの電波が海の生物を狂わせていると推理。実はその企業は法令に反して現場で異常な出力の電波を運用していたのでした。一方ボー・ホプキンスの奥さんやその家族は電波の影響で凶暴化した巨大なタコに襲われて全員死んでしまいます。悲しみにくれる彼は飼育しているシャチ2匹を連れてタコ討伐に出撃するのですが…。

 

 



 

いやあこれは思わず唸るトンチキでしたねえ。思い起こせば幼少の頃父が買っていた「スクリーン」誌で、海に浮かぶ女性の背後に巨大なタコの触手(テンタクルズ)が迫る、という不気味なスチールを目にして以来ずぅぅぅぅっと気になっていた映画でした。当時はあの『ジョーズ』に続く海洋パニック映画として鳴り物入りでの本邦公開だった模様。それもそのはずで『ジョーズ』の大ヒットを目の当たりにしたイタリア映画界がお得意の節操のなさを存分に発揮、またたく間にでっち上げて豪華キャストのネームバリューで世界中に売りまくった二匹目のドジョウならぬタコ映画なのでした。気になるあまり20年くらいまえにレンタルビデオで観ましたが、余りの詰まらなさに呆然とした覚えがあります。それを2020年の今になって突如BS-TBSが放映。しかも吹替版。いくらステイホームで皆が家にいるとは言え何故わざわざこの映画を選び放映するのか。何かヤケッぱちめいた意気込みを感じますがそれに応えて思わず私も録画予約をピピッと敢行です。

 

 

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いやこのカットなんですけどね

 

 

冒頭にも書いてますがキャストが妙に豪華。アカデミー賞級の俳優がずらりと揃っています。みんなお小遣いに困ってたのかな?これだけの名優を集めた上でその良さを活かさないというぜいたくな演出方針が光っています。ヘンリー・フォンダに至っては推定拘束時間半日くらいじゃないか。この手の映画の常連とも言えるシェリー・ウィンタースを確保したところは偉いですがおなじみ『ポセイドン・アドベンチャー』のような体を張った見せ場はなく、タコ大暴れのシーンでも終始陸地でオロオロしているだけという比類なき無駄遣いです。前半は因業な新聞記者を独特の悪人面で演じていたジョン・ヒューストンも、後半海上が舞台になるとまるで最初から居なかったかのように出番が消え、追求していた企業との戦いもウヤムヤに、というそんな面倒くさい話はもうどうでもいいでしょう、それよりタコ見なさいよタコ。という作り手の投げやりなまごころがビンビン伝わってきます。

 

 

そのタコですが、水面に目のところだけ出して直線の動きで突進してくるシーンが繰り返し繰り返し出てくる以外は、ほとんど本物のタコを船の模型とたわむれさせているだけ、という正直さで、そりゃまあ欧米の皆様は普段タコの生態などお目にされておられぬかも知れませんが、こちとら魚河岸や市場で日頃から生きたタコには親しんでいるのでどうしても活魚感を否定できず、つい「おっ活きがいいな」などと思ってしまいます。作り手も一応巨大感の無さをなんとかしようとしたのでしょう、海中シーンはひたすら画面が暗くてよく見えない方式という思い切ったソリューションです。かつてVHSで見たときは何が起こっているか全くわかりませんでしたが、今は技術の進歩によりご家庭でも明るいHD映像で観ることができ、タコのスケール感を忠実に感じ取れます。痛し痒しです。

 

 

ボー・ホプキンスは日頃から可愛がっている2匹のシャチを引き連れてタコ討伐へ。心が通じ合っているシャチに「おれの女房もやられた」「あいつを殺せるのはお前らしか」「たのむ」と直球でお願いしますが、タコにケージを壊されて外海に出たシャチ君らはテンション高まったのか「わー」とどこかへ行ってしまいました。どうすんのこれ。と思っているうちにタコ様が襲来。海に潜ったボー・ホプキンスとその弟子はタコに襲われたはずみで崩れてきた珊瑚の下敷きになり動けなくなってしまいます。いやこれ、マジでロケ地の珊瑚をバリバリ破壊してないか…?大丈夫か…と意図しないところで手に握る汗。

 

 

そこへ襲いかかってくるタコ様。画質が明るいのでのたくる活魚感を存分に味わえます。あやうし!と思っているところに突然アベンジャーズのごとくシャチ君ズが登場!巨大タコを右から左からモリモリかじります。左右からシャチのプロップに噛みつかれてのたうち回るタコの迫真の演技は必見。最後は8本ある足の2本くらいをかじり取られてズルズルと海に沈んでいくのでした。なお、このタコはあとでスタッフが美味しくいただきました、というようなことはないんだろうなあ、やはり。

 

 

全体的に、巨大に見えないタコ、盛り上がらない演出、ちっとも面白みのないストーリー、なのに商売っ気はたっぷり、など、援護したくなる要素が皆無という業の深い映画でした。そんななか特筆したいのは微妙に浮かれた音楽。緊迫するタコ襲撃の場面でもなんとなく小洒落たディスコ調でただでさえ盛り上がらない映画を亜空間にいざないます。この雰囲気の合ってなさはある意味すごい。1977年当時はこういうのもアリだったのでしょうか。昔はカオスでした。

 

 

ファッションショーみたいなオシャレ感

 

 

吹替版の放送だったんですが、78年のテレビ放送時の音声そのままらしく、昔の洋画劇場の雰囲気が味わえてこの部分だけは思わぬ拾い物でしたねえ。アドリブの効き方なんかは当時ならではの味です。途中のパレードのシーンで現地のスタンダップコメディアンがつまらないアメリカンジョークをくどくどくどくど喋り倒すタルいシーンがあるんですが、その吹き替えの声とアドリブの入れ方になにか聞き覚えがある。これ愛川欽也じゃないのか。いや間違いない。キンキンだろ。こういうおもわぬ掘り出し物があるのは楽しい。というかそれくらいしか楽しみがない。つらい。

 

 

なお、昔わたしが惹きつけられたところの「海に浮かぶ女性の背後に巨大なタコの触手」のカットは本編には全く出てきませんでした。嘘でしょ。しかし一回観といて詰まらないとは分かっているクセに、放送されるとつい観てしまうこの私のサガがにくい。恐ろしきは幼少時のオブセッションです。三つ子の魂百までとも申しますから、多分死ぬまでにあと2〜3回くらいはうっかり観てしまうんじゃないか。ええー。以上、よろしくお願い致します。

ステイホームちょう大事『クリスタル殺人事件』(1980)※微妙にネタバレあり

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原作:アガサ・クリスティー。監督:ガイ・ハミルトン。出演:アンジェラ・ランズベリーエリザベス・テイラーロック・ハドソンキム・ノヴァクトニー・カーティス。往年の大女優マリーナ(エリザベス・テイラー)と、その夫で監督のジェイソン(ロック・ハドソン)。マリーナは心を病んでいたため長いブランク状態にありましたが、再起を賭けて新作の撮影に臨みイギリスの片田舎に長期滞在中。かつての名女優を歓迎して村は総出でお祭り騒ぎです。そのパーティの席上で地元の女性が毒を盛られて死にます。この不可解な事件に首を突っ込むのがご存知ミス・マープルアンジェラ・ランズベリー)。彼女は持ち前の推理力とおばちゃん特有の圧、そしてスコットランドヤードの警視である甥の社会的地位を存分に活用して事件の真相を探るのでしたが…。

 

 

※以下ちょっとだけ結末に触れます

 

 


圧がすごい

 

 

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実はカルトなのか?『血のバレンタイン』(1981)

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監督:ジョージ・ミハルカ。主演:ポール・ケルマン、ロリー・ハリアー、ニール・アフレック。アメリカ東部のとある鉱山町。そこで20年前のバレンタインデーに起こった悲劇。早く帰ってバレンタインのパーティに行きたい鉱夫が安全確認を怠ったため爆発事故が発生、5人が坑内に生き埋めになってしまいます。6週間後、捜索隊は奇跡的に一人の生存者を発見しますが、彼は仲間の死体を食べて生きながらえたという地底版「生きてこそ」状態。救出された彼は事故の原因を作ったうっかり鉱夫をピッケルで惨殺して心臓をハート型の化粧箱に詰め「二度とバレンタインにパーティーするんじゃねえ!」と呪いのメッセージを残して精神病院にぶちこまれます。そして20年後。その事件もすっかり風化した今、ほとぼりも冷めたよネと町はバレンタインのパーティを企画。昔の悲劇を知る年寄は「最近の若いもんは…」と苦い顔ですが当の若者はステディといちゃいちゃしながら街中の飾り付けに余念がありません。そんななか、町長のところにハートの化粧箱でデコられたホカホカ心臓が送りつけられます。やつが…やつが帰ってきよった!20年前の呪いじゃ!パーティは中止じゃ!となるはずが血気盛んなヤングメンは若さゆえのバカを存分に発揚。独自にパーティをひらいて自ら標的に。かくてパーティに参加した若人は次々と血祭りに挙げられてゆき…。

 

 

13金に始まる80年代初頭のナイフスラッシャー・ムービー群の一つに数えられる映画ですね。『プロムナイト』とか『テラー・トレイン』とか『誕生日はもう来ない』とか『デビルスピーク』とか、当時はこのような荒みきった映画が毎月のように公開されており、いたいけな小学生だったわたしも親が購読していた「スクリーン」誌を貪るように読んでいたためこの手の映画の知識がピチピチした頭脳に吸い込まれていったのです。とはいえ映画の内容が内容ですし、四国の片田舎ではそもそも上映もままならぬため、知識だけは脳に残ったままの耳年増状態でこの歳になったところ、Huluが何を血迷ったのかオーパーツのようにこの映画をラインナップにぶっこんできたのでこれはもう観るしかないだろう!と妻や子供の目を盗んで鑑賞に至ったわけです。

 

 

予告編らしいが、すごくどうでもいいカットがサムネに

 

 

映画のキービジュアルは、ガスマスクをかぶった鉱夫姿の殺人鬼がピッケルを持って佇む姿で、13金のホッケーマスクやいけにえのレザーフェイスのようなアイコンを狙っており、これはこれでなかなか。冒頭、このガスマスクの鉱夫二人がコーホーコーホーとダースベイダーのような息遣いで廃坑の奥に潜っていき、何事ぞ、と思っていたら鉱夫の片方がマスクを外して出てきたのは微妙にトウの立った金髪美女。もろ肌ぬいでもう一方の鉱夫をうっとりと撫で回します。マスクから伸びた管をアハンウフンと怪しげな手付きでナデナデするあたり、おや冒頭からサービスシーンか。いいぞもっとやれ。と思っていると金髪美女は壁に押し付けられピッケルの先で串刺しになってしまいました。この手の映画の常として「スケベな行いに及ぶカップルは必ず死ぬ」という鉄の掟がありますが、及んだ本人が率先してそれを実行というのはなかなか珍しい。

 

 

また別の常としては、どうでもいい人間関係で尺の水増し、という様式美もありますがそれもきっちり守られ、主人公の鉱夫とそのライバル、間に挟まった娘との三角関係、という一周回って安らぎを覚えるレベルの水増しが図られており、ふるさとに帰ってきたときのような安堵感が味わえます。そのような常を踏まえつつ人が殺されていくいっぽう、町民の動揺を抑えるため事件を隠蔽して逆に被害を大きくするという警察の様式美を押さえたボンクラさも見逃せません。

 

 

その警察の隠蔽により事件の進行に全く気づかない若者たちは、パーティの中止に憤ってみなぎる若さを持て余した結果、そうじゃ鉱山事務所の娯楽室が空いとるがね、そこでパーティじゃ!おお騒ぎじゃ!と自主的につどい、飲めや歌えやつがえやの大騒ぎに。犯人氏がそれを見逃すわけもなく、こっそり抜け出してよろしくヤリ始めたカップルなどを真っ先に血祭りに上げるのでした。

 

 

さらに盛り上がったヤングメンは「ねえ~ちょっと~あたしぃ坑道って入ってみたコトないんだけど~」という娘っ子の飛んで火に入る発言を皮切りにぞろぞろと真夜中の坑道に入り込むというヒヤリハット事例を体現。この好機を犯人が見過ごすはずもなく、順調に減る若者の頭数。以後真っ暗な坑道のシーンがメインなので何が起こっているかよくわからず、暗い画面に反射する私の真顔とよくわからない画面内の出来事がオーバーラップし続けるという斬新な試練を体験しました。

 

 

そうこうしているうちに犯人の正体が発覚し、後味の悪さを残して映画はすっぱり幕切れを迎えますが、このあたりも様式美を守っており三周ぐらいした結果の安らぎを覚えます。そしてエンドクレジットにかぶさるバレンタインの呪いを歌いあげた主題歌。これがまた物悲しいカントリー風味のソフト・ロックでその泣きの曲調と結末とのギャップがすごい。ついでに言うと音楽もちょっと暴走気味で、サスペンス場面の音楽はまだしも、主人公と元カノの愁嘆場になると突然メロメロの大甘音楽が流れ、そこだけ急にフランス映画みたいになる居心地の悪さはまた格別です。

 

 

脚本、演出、演技による三位一体のゆるさは大目に見るとして、13金にあたりにくらべると殺人シーンまでゆるいのはジャンル映画としてどうなの、と思いますが、どうもこれゴアすぎ部分がかなりカットされたマイルド版らしく、当時本国で公開されたのもこのバージョンらしい。ひるがえって日本での公開時は逆にノーカットだったようで、当時の日本の興行界は今思うとかなりどうかしていたのではないでしょうか。なお現在完全版はブルーレイの特典映像でしか見られないらしく、そっちを観るとゆるゆるだった印象もいくぶん変わってくるようです。また原題の”My Bloody Valentine”をそのまま名前にした海外の著名バンドもあったりするので、もしかしたらカルトな一作なのかもしれませんが、だったところでどうなるというものでもない。以上、よろしくお願い致します。

 

 

血のバレンタイン (字幕版)

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  • 発売日: 2016/07/01
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なんで戦ってたんだっけ『ジョン・ウィック:パラベラム』

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監督:チャド・スタエルスキ。主演:キアヌ・リーブス。お待ちかねの第3弾ですね。前作で殺し屋組合の掟を破ってしまい、世界中のその筋の方々から狙われる羽目になったジョン・ウィックさん。1時間後にはどえらい賞金がマイ首にかかってしまう。さあこれからどうなる!というところでの「つづく」だったので続編が大変待ち望まれていたわけです。上映前に前作までのあらすじを超ダイジェストで見せてくれる『ジョン・ウィック:フラッシュバック』という便利動画が流れるので初見の方もまあ安心。

 

 

で本編。そういう前提なので最初から細かい説明抜きでガンガン飛ばしてます。ハナからボリューム全開で行くぜ!というわけでさっそく築かれる死体の山々。作り手もコレでもかと殺し合いのアイディアを詰め込みまくっており、ごつい本で殴ったり雪合戦のようにナイフを投げ合ったりと中身はやんちゃの限りです。ナイフをゆっくり眼窩に刺したりマサカリが頭蓋にめり込んだりとゴアな描写もあったりするので要注意ですね。

 

 

また馬のお尻をぺんぺんすることによって後ろ足を蹴り上げさせ敵を吹っ飛ばす「馬キャノン」、訓練された犬が股間を噛みちぎる「犬バサミ」などのわくわく動物凶器も登場。なお、あれだけ銃が撃ちまくられ刃物も飛び交うなか、馬や犬は傷ひとつ付かない丁重な扱いで、動物の命が人間よりもはるかに重いのがジョン・ウィック界のジャスティスでした。

 

 

撮影の裏話映像。本編映像もけっこう出てきます。

 

 

しかもさすがのジョンさんもこのまま逃げ続けるのはちとキツイ。着替える暇もありません。昔の顔なじみも「いやあんた助けるとこっちもヤバいんだよ」と助けの船を出しませんし、困った。こうなったらちょっと強引だけど昔の貸しを返してもらおう、ということでロシア系の地下組織に助けを求め、そこの因業極まりない女首領(なんとアンジェリカ・ヒューストン!)に「お助け回数券まだ残ってるんで助けてください」「あんた助けたらこっちがヤバいんだよ」「回数券残ってるんです(詰め寄り)」「チッしょうがないね」という感じで船を手配してもらってモロッコに落ちのびます。

 

 

このロシア系地下組織がまた業が深いというか、女子にはバレエ、男子には格闘を叩き込んではジョンさんのような職業殺人家を輩出する殺しのモード学園みたいなことをやっており、どうやらジョンさんもここの卒業生らしい。このへんがなんかスピンオフで別映画になるという話もありますが、それはそれで面白そう。

 

 

いっぽう組織の方は造反者がでたことを素早く察知して「裁定人」なるいけ好かない女をよこし、ホテルのオーナーや地下組織のリーダーに「ああたジョンを裁くんだったら、なぜちょっと逃げる猶予を与えたの?甘いんじゃない?」「ああたジョンに武器渡したでしょ?どういうこと?」と詰め詰めで迫り、あげく「一週間あげるから身辺整理してよね。後釜よぶから」と取り付く島もありません。

 

 

この裁定人、自らの懐刀としてゼロなる殺し屋(マーク・ダカスコス!)を雇うのですが、このひと「にんじゃりばんばん」が流れカウンターで猫が爆睡する場末の寿司屋の店長で、発音の怪しげな日本語と日本語訛りの英語を駆使し、いっそう怪しげな手付きでフグを雑にさばいて客に出したりします。情報量多いな!このシーンのカオスっぷりはシリーズでも随一です。

 

 

歌唱の御本人がおでむかえ

 

 

このマーク・ダカスコスの殺し屋がなかなかよろしい。流石にお顔はお年を召された感じが否めませんが、技はキレキレで、これどう見てもジョンさんより強いだろ感。顔も凛々しいながら目の光が異常者のそれで悪役感バッチリ。ただ時としてあばれる君と荻昌弘先生がフュージョンした姿に見えてしまう瞬間がないこともない。また油断すると発音が無理目の日本語を折々にぶっ込んでくるので、もうちょっとなんとかしてあげられなかったのか、とつい思ってしまう。エンドクレジットみると日本語のトレーナーがついておられたようですが。しかし。

 

 

とまあ話は組織全体を巻き込んだ大抗争劇に発展していくわけです。行く先々で刺客に襲われこれをドスンバタンと排除していくジョンさんですが、アクションシーンの質、量ともにあまりにも過剰になりすぎたせいか「ほえええ」と口アングリで鑑賞しつつも「しかしこれなんで戦ってんだっけ」と我に返る瞬間がなくもありません。いつ果てるともわからない激しい戦いを延々と繰り返すうちに、事の経緯がすっかり頭から蒸発し、なんのためにこんな大殺戮を続けるのかだんだん判らなくなってきます。ロシアンマフィアのバカ息子を相手にしていたころが懐かしい。

 

 

そんなこともあって最後の方はこちらも感覚が麻痺し、目的の曖昧な殺しのフルコースを満腹状態の胃に詰め込まれる感じになってきます。アクション単体はそれはもう迫力満点で、一つ一つは大変痛快なのですが、やっぱりそれをつなげる話が希薄だと燃え度が段違いというか。造り手としてはサービス満点を目指したまごころの制作とはいえ、やはり。

 

 

しかもこれ、完結しないときた。まだ続くのか!次回こそは組織の上層部との全面戦争であのいけ好かない奴らをギタンギタンにしてくれるであろうと期待しますが、しかしモタモタして全5部作とかにしてるとキアヌも還暦をむかえちゃうぞ!急げ!

 

 

余談。音響がすごく良かったですね。アクションシーンの発砲音、打撃音は映画館の音量で聞いてこその迫力なので、これはぜひ劇場で体感していただきたい。終盤にでてくる徹甲弾の音響なんか、それまでの銃器とは段違いの威力を音圧と重低音でバッチリ感じさせてくれます。音効さんナイス!