カジノロワイヤルの手帖

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生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言

生きてるうちが花なのよ?死んだらそれまでよ党宣言 [VHS]
監督:森崎東、主演:倍賞美津子。いやあカッ飛んだタイトルです。アナーキーです。なので映画もアナーキー味が炸裂、かと思ってたら思いのほか深刻だったので日曜の真っ昼間から酒でも飲まんとやっとれん気分になったとです。主演の倍書美津子は三十路を過ぎたヌードダンサー。その愛人の原田芳雄はヤクザから足を洗おうとしているチンピラ。この二人は返還前の沖縄から密入国してきたために本土では戸籍がありません。この二人を軸に、非行中学生たち、ドヤ街の労務者、場末のフィリピーナ、酔っぱらいの船長(またも殿山泰司…いい味出過ぎ。思うにこの人は日本映画界のファイナルウェポンだったのかも知れません)が織りなす人間模様、というとまたアレだ、湿っぽい場末の人間模様かいな。と重いゲップの一つも漏れる心持ちですが、実態はもっとハードでした。


中盤から映画は名古屋から美浜へと舞台を移します。そこは倍賞美津子が最後に選んだドサ周り先。ですが、その場所は原発を軸に労務者の雇用が生まれている土地。その利権を仕切るヤクザと警察が牛耳っている町。原発の末端労務で命を使い捨てにされている労働者たちと、その事情を知っているがためにそこから足を洗う事ができない夜の女たち。そこで口封じのために殺された一組の男女と、その現場を目撃した一人のフィリピーナのために、倍賞美津子以下周辺の人たちは誰アジることなく無意識のうちに団結して癒着した警察とヤクザに対抗するのでした。


といってもカッコいいアクションがあるでなし、痛快な脱出劇があるでなし、むしろ原発という毒入りの甘い蜜に群がって生きざるを得ない周辺の人たちを描いているバリバリの社会派ドラマでした。原発ジプシー」原発の危険な労務を糧にするために全国の原発の地を巡礼する労務者のこと)という絶望的な言葉もこの映画で初めて知りました。それだけに、一見軽く見えてしまうタイトルの重いこと重いこと。劇中、原発の廃液に足を浸してしまった男が、おそらく致命的な放射線にさらされたにもかかわらず、できることと言えば激痛をこらえながらタワシで足をこすることぐらい、というやりきれないエピソードが映画のトーンを鉛色の曇天の下にたたき落とします。しかしながら画面に映る風景はさんさんと輝く太陽の下の原発だったりするもんですから余計高まる鬱度。なんでオイラは日曜の昼からこんな気持ちが地面にめり込む映画を観とるのかと思わず自問自答する一本。確か1985年のキネ旬ベストテンの5位くらいに入ってたはず。うーん。時代背景を考えるとこの評価はさもありなんです。よく上映にこぎつけたなというだけで拍手してもいいくらいかも。おそらく圧力は考えうる限りいろんな筋からあったろうに。ねえ。


倍賞美津子がこの人以外考えられんというハマり方でたいそう良かったです。もしかしたらアテ書きかも知れまへん。彼女の豊満ボディっぷり(拝んだ事のない方は『復讐するは我にあり』を鑑賞のこと。必見)と年増っぷり、加えて世間の荒波に揉まれ揉まれて擦り切れた果てに生まれるある種の居直りと諦観、これは他の人で出せるかどうか。そういう酸いも甘いも噛み分けてます熟女フェチは必見。内容の辛気くささも彼女の魅力で乗り切れるでしょう。頑張ってください。


ちなみに、まだDVD出てないんですねこの映画。単に出ていないだけか、それとも出せないように何らかの思惑が働いているのか…判りませんが、高い評価に対して釣り合わない境遇にあるとは思います。