カジノロワイヤルの手帖

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心の闇に呑み込まれる恐怖『ザ・バニシング -消失-』(1988)※結末ネタバレなし

ザ・バニシング-消失- [DVD]

 

 

 

監督:ジョルジュ・シュルイツァー。主演:ジーン・ベルヴォーツ、ベルナール・ピエール・ドナデュー。オランダから南フランスへ休暇を楽しみに来た若いカップル。高速のサービスエリアでもっちゃもっちゃと幸せな時間を過ごし、さて行きますか、あちょっと飲み物買ってくるわ、と売店に行く彼女の方。彼氏の方は戻りを待ちますが、いつまで経っても帰ってこん。何事ぞ。と不安にかられ必死で彼女を探す彼氏。しかし結果は虚しくついに彼女は失踪という事になってしまいます。その後3年間捜索を続けるも手がかりはなく、彼氏はテレビに出演して情報を求めたりしますが、来るのは冷やかしの手紙ばかり。しかしある日「彼女の行方を知ってる。というか私が誘拐した」という男が現れます。彼氏はその男の真意を怪しみながらも、あの日彼女の身に何が起こったのか、その真相にたどり着くべく、男の車に乗り込むのですが…。

 

 

 

このパッとしないとっつあんが大変なことを

 

 

この映画、知る人ぞ知る幻の傑作と言われており、私も20年ほど前に「カルト映画館/ホラー編」(永田よしのり編/現代教養文庫)という本にて鷲巣義明氏による熱のこもった紹介でその存在を知ったのですが、その時点で日本未公開、ビデオもDVDも未発売。かろうじてハリウッド版リメイク『失踪/妄想は究極の凶器』が公開されソフト化されているのみという状況で、いったいどうやれば観られるのか!と長年もんもんしていたのです。ところが今春になって突然本邦で公開される運びに。なぜ一体いま?どういう意図で?よく判りませんがこうしてめでたく鑑賞できた訳で、配給会社さまにはデコを床に打ち付ける勢いで御礼を申し上げたい。

 

 

カルト映画館 ホラー (現代教養文庫)

他にも「SF」「ミステリー&サスペンス」「アクション」といったシリーズが

 

 

1988年の制作ですからもう30年以上前の映画なわけですが、サイコ・サスペンスという言葉が一般に広まる前の映画でありながら、狂った人間が冷徹に犯罪を行う様子を粛々と描写する、というその筋の先駆者みたいなことをやっております。あの『羊たちの沈黙』に先んじること3年。かなり早いです。

 

 

※ここから先は、一応ネタバレは避けますが、話の展開には触れます。

 

 

 

映画は必死に彼女を探す彼氏の動きと並行して、犯人の男が、どのようにして準備し、練習し、失敗しながらも経験値を上げて計画を実行したかを克明に描いていきます。とはいえこの犯人、見た目は実にノーマルで、しかも普段は大学の教員として裕福な生活を送り、妻と二人の娘に囲まれて、良き夫、良き父として大変幸せな生活を送っております。その彼が、一体なぜそんな大それた事をやろうとしているのか。その理由をこの映画は静かな場面を積み上げつつ語っていきます。社会性を高度に保ったサイコパスが、内なる狂気を燃焼してコツコツと計画を進める様は人の心の底のない暗闇を見せつけられるようで、迫ってくる冷え冷えとした恐ろしさ。

 

 

彼氏の方は、身の危険を感じながらも犯人の車に乗り込み、いったい彼女の身に何があったのかを問い詰めていきます。そして車がとうとう例のサービスエリアにたどり着いたとき、犯人によってある選択を突きつけられます。彼氏が何を選択するのか、そしてその結果彼氏の身に何が起こるのか…。ここから映画は一気に戦慄の結末になだれ込むのですが、ちょっとここの怖さは筆舌に尽くしがたいですね。あれこれ最悪の状況を想像しますが、それを遥かに超えてくる恐ろしさ。ある意味犯人の心の闇に呑み込まれた、と言ってもいい状況で、何が起こったかを理解した瞬間わたしゃ正直息を呑みました。なぜこんなことをやってしまえるのか?ラストシーンの犯人の冷たい表情の下にはどういう感情があるのか?その恐ろしさを噛み締めながら、映画の前半を反芻すると、何気ないシーンが暗示を含んでいたり、犯人の所業をほのめかす伏線になっていたりと、周到に作り込まれているのがわかります。

 

 

これによるとあのキューブリック先生が3回観たそうです。マジすか

 

 

もうひとつ、恐ろしさをいや増しているのが、「偶然」によって人間の運命は簡単に狂うことを描いている点。なぜ彼女は誘拐されてしまったのか。それを決めたのは取るに足らない偶然の集積で、人間の運命なんぞ所詮だれかのくしゃみ一発でどうにでも変わり、幸せの絶頂が瞬時に地獄のドン底に入れ替わるかもしれない。そしてそれは誰にでも起こりうる、という恐怖を見せつけてきます。自分や自分の大切な人が、本当にモノのハズミで事件や事故に巻き込まれることだってあるのだ、ということを突き詰めて見せてくるのがこの映画なのでした。想像するだに怖い。一滴の血も流れず、激しいアクションも派手な見せ場もない映画ですが、観客の想像力をフル動員させ、出先でアイロンの消し忘れに気づいた時のような血の気の引く恐怖を味わわせてくれます。

 

 

なお、ハリウッドでのリメイク版は、ジェフ・ブリッジスキーファー・サザーランドサンドラ・ブロックが出演と豪華さマシマシになってますが、なんと結末が大きく変わっているとのことで一体なんてことをするのかハリウッドめ。監督はオリジナル版と同じ人なのですが、やっぱり大きなお金や力ある人が絡むと、それだけで作家性というのは貫きにくくなってしまうものだなあ…と変なところで感無量でした。

 

 

 こっちはリメイク版。とはいえちょっと観てみたいぞ