カジノロワイヤルの手帖

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やりおった!『007 ノー・タイム・トゥー・ダイ』(ネタバレあり)

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公開延期前のだ。待たされましたね〜

 

 

監督:キャリー・ジョージ・フクナガ。出演:ダニエル・クレイグラミ・マレック、レア・セドゥ。前作『スペクター』のラストで手を取り合って出奔したボンド(ダニエル・クレイグ)とマドレーヌ(レア・セドゥ)。つかの間の蜜月を楽しみ、お互い過去のしがらみを捨ててともに生きることを決意しますが、過去の精算のためにかつての恋人であり心の傷であるヴェスパーの墓を訪れたところ突然墓がボカン。スペクターの残党が追ってきます。これを撃退するときに「やつはスペクターの娘ぞ」と穏やかでないことを吹き込まれたボンドはマドレーヌを連れて逃走。アストン・マーチンの秘密兵器を駆使して追っ手から逃れます。命を狙われたのはマドレーヌの裏切りのためか?心に生じた疑念はその場での別れをボンドに決意させるのでした。

 

5年後。ひっそりとジャマイカで隠遁生活を送っていたボンドのもとに旧友のフェリックス・ライターがやってきてCIAへの協力を求めますが、これを断るボンド。そのあとに新任の007ことノーミがやってきます。これから近所で一仕事するけど邪魔しないでねパイセン。生意気な後任にイラッときたのか心配の虫が騒いだのか、一転してCIAの依頼を請けるボンド。MI6も絡んでいたウイルス兵器強奪事件を追い始めるのでしたが…。

 

 

 

 

カジノ・ロワイヤル』から15年続いたダニエル・クレイグ版007サーガ、ついに完結編です。思えば40年ものあいだ、移りゆく時代に抵抗して心地よいマンネリズムに浸り続けていたシリーズを、今現在の価値観でじわじわアップデートしてきたのがこの15年だったのではないでしょうか。

 

 

・『カジノ・ロワイヤル』(2006)

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→エレガントで超人じみたスーパーヒーローではなく、人間臭く血の匂いもする殺し屋としてのボンド。

 

 

・『慰めの報酬』(2006)

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→誇大妄想狂的な悪役ではなく、悪辣な手段で人々を搾取する現代的な悪役。

 

 

・『スカイフォール』(2012)

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→冷戦後のスパイは自家中毒を起こした無用の存在ではないかという問いかけと、それに呼応するようなどん底体験をへて、自分を見つめ直しエージェントとして完成するボンド。

 

 

・『スペクター』(2015)

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→この作品はちょっとアプデが停滞した感じがあり、諸要素も過去作への回帰が感じられますが、ボンドの出自にまつわる因縁が生んだボンド自身の物語として、さらなる自己への見つめ直しを迫り、「護るもの」であることにエージェントとしての自己の存在意義を見出した、という見方ができます。

 

 

 

 

で、それらの総決算として本作はどうだったのか。

 

 

まずパッと目につくのは、過去のシリーズにあった「古い価値観」の更新終了!ってとこでしょうか。00課の面々はこの15年で人種的にもセクシャリティ的にもすっかり多彩になりました。なかでも新007のノーミは黒人女性ですから30年前にはとても考えられなかった抜擢です。それにボンドは行く先々で手当り次第に女を口説くこともなくなり、女の方も特にそれを期待してない、という図式も見られます。特にCIAの新人エージェントとして登場したパロマ(アナ・デ・アルマス)なんかはこれまでだとボンドに口説かれてウフフ、となっちゃうポジションですがそんな描写は今回全くなかったですね。ストイックになったもんです。

 

 

そしてもうひとつ。前作でせっかく手にした「護るもの」としての存在意義を冒頭で自ら手放してしまったボンド。生きる意義を失った彼は抜け殻となり5年間の空白生活を送ります。そこからまたどのように「護るもの」としての自覚を取り戻すかを描いたのがこの映画、ということもできます。

 

 

それを踏まえた上で、この作品の大きなポイントは二点。重大かつ衝撃的なネタバレなので、まだ見てない人は決して読まないように!

 

 

 

 

ボンドに娘が!

 

 

シリーズ初にしてメガトン級のヘビーボムです。そういえばシリーズ通して50年以上、ボンドは世界各地でせっせとコトに励んでいたのですから、隠し子の一人や二人、いや五人や十人はいてもおかしくはない。あっちの命中率も一流かも知れぬ。当然認知しろ責任とれあなたの子よと言った声が世界各地から出てきてもおかしくはなかったのです。そこはそれ映画ですしそういう面倒はいいでしょう別に!ダッハッハ!と言った省略がこれまで行われてましたが、今回は真正面からぶつけてきました。母親はマドレーヌ。最初は「あなたの子じゃないわ」なんて言ってますがその青い眼はどうしたってどうかしてます。

 

 

もうこの一点だけでシリーズの不文理を破ってきた大問題作な訳です。ボンドが子供を抱えて逃げ回る!これは本当に、本当にかつてなかった。それがたとえそこいらの通行人の子だったとしても、シリーズ中アクションシーンの中心に子供がいたことはただの一度もなかったはず。そのくらい異常事態なのです。急に画面が007ではなくスピルバーグのサスペンス映画に見えて来るくらいの異化効果。

 

 

でもこの子が本作の最重要キーな訳です。子供に食事を与え父親の気持ちを知るボンド。子供を人質に取られ苦しむボンド。子供の安全のためにボンド土下座しながらの謝罪!これはショックですよけっこう。所帯臭くなりゃがって!と思う向きもいるかも知れない。これまでのスタイリッシュさをかなぐり捨てた掟破りの光景でした。

 

 

しかし、外聞は捨ててもヒーローとしての資格は失わないのがボンド。「護るもの」として究極の対象を得たボンドは、カッコ悪さも耐えて命がけで子供を守り抜くのです。

 

 


そんな重大なことはまったく出さない予告編

 

 

そう。文字通り命がけで。つまりもう一つの大きなポイントは、

 

 

 

 

ボンド死す!

 

 

死んじゃうんですよこれが。『007は二度死ぬ』とか『スカイフォール』の冒頭みたいななんちゃって死亡ではない。ご丁寧に雨アラレと降り注ぐミサイル。その爆風に巻き込まれる所まできっちり描写してますから、ここから「生きとったんかワレ!」という展開になるには男塾かキン肉マン並みの何かがないとムリです。

 

 

いや、終盤に向かうにつれてこれを予感させる描写は積み重ねられてますがね。やはり信じがたいものがありました。00課の面々が、最後に陰膳(というか陰グラス)を供えて献杯するシーンを私はアホのような顔で見ていましたよ。死んでしもうた…あの不死身の男が…。このショック、この衝撃。ファン歴の長い人ほど深いのではないでしょうか。

 

 

まさに究極の不文理破りで、シリーズにトドメを刺しかねないため使われてなかった最後の一手をついに、ついに出してしまった感じ。スクリーンから立ち上ってくるやりやがったな感。

 

 

この辺り、往年のファンを中心におそらく賛否大割れになると思いますが、私自身は決して否定的な感想は持ちませんでした。

 

 

それはボンドが「護るもの」としての使命を果たしたのみならず、自分の命を終わらせることでその使命を完成させたことにあります。ご覧になった方はお分かりでしょうが、ボンドは敵の策略で、自らの存在自体がマドレーヌや娘の命を脅かすものに化してしまいます。ひとまずマドレーヌと娘は護った。それは確認した。しかしここでわしが戻ると二人をまた死の危険にさらしてしまう。それはもう取り返しがつかない。もうミサイルも迫っている。けっこうな傷も負っている。ならばもういっそここで…。というわけで、ボンドが死ぬこと自体に無理矢理さや不自然さはなく、むしろこの5作品15年の歩みとして最後をきっちり締めた、という感じです。

 

 

劇中幾度となく引用されるセリフや曲が物語っていますが、これはきっと『女王陛下の007』の裏返しバージョンなのでしょう。過去のシリーズでは女性を道具や盾にしてきたフシが無くも無かったボンドです。最たるものが『女王陛下の007』のラスト、新婚ホヤホヤのボンドがスペクターに襲撃されるくだり。ここでボンドは生き残りますが生涯を誓った新妻は無残に死にます。そういえばクレイグボンドが最後まで忘れられなかったヴェスパーだって、実はボンドのために死んでいったのです。そうやって女性の犠牲の上に生き残ってきたボンドが贖罪すべく、今度は女性や子供のために「護るもの」として死んでいこう、そしてこれまで世界の男性性の上にあぐらをかいてきたシリーズの古い価値観をこれで終わらせよう、というような意図があるのではないでしょうか。

 

 


この曲もあるシーンでさりげなく流れます

 

 

ラスト、マドレーヌと娘がボンドに思いを馳せながら車を走らせる海沿いの道。なんとなく見覚えがある。ここはもしかしたら『女王陛下』でボンドが新妻を失った場所なのかもしれません。そして最後に流れる『女王陛下』の愛のテーマ、”We have all the time in the world”。ルイ・アームストロングの歌声が、暖かくも挽歌のように流れます。あたかもこれまでのシリーズを総括するかのように。完全に時代は変わったのだ、という自覚、苦悩のエージェントとして傷つきながら駆け抜けた男への共感と哀れみ、シリーズが真の意味でひとつの大きな終焉を迎えたことに対する愛惜の念、これらの感情がないまぜになって、見ている自分は鼻の辺りがツンとしてくるのを抑えられないのでした。

 

 

名曲…

 

 

とはいえいろいろ細かく言いたいところもあり、前回あれだけ鳴り物入りで登場したスペクターの扱いがあまりにアレだとか、今回の悪役の行動原理がいまいちひとつわからないとか、このへんがしっかりしてたらもう何も言うことは無かったのですが…。特に宿敵のスペクターがあっさり退場して、最後のいいとこでポッと出の能面野郎が好き放題やりゃがって、という辺り、古くからのファンとしてはちょっと残念でした。スペクターやブロフェルドとの死闘の上でこの結末だったらもう何も文句は無かったです。

 

 

最後にシリーズ恒例、”James Bond will return”の文字が出るのかどうか、もうこれだけが心配で心配で、エンドロールも食らいつくように見ておりましたが、最後の最後で意味深な効果音とともに出ましたね。でも出たら出たで、次の展開はいったいどうするのか。どうしたら一番納得できる展開になるのか、これはこれで大変悩ましい。

 

 

1)平行世界の話として何事もなかったかのように新ボンドが登場。ただしこの場合00課のみなさんのキャストも総とっかえしないとダメでしょう。

 

 

2)ボンドの死を隠したい00課が新人にジェームズ・ボンドというビジネスネームを与えて後釜にすえる。この場合は新ボンドが本来の自分とボンドとしての自分のギャップに悩むなどの面倒くさいオプションがつきそう。

 

 

3)ボンド出ない。007には別の人が就任。たとえばノーミが今回大人気のパロマ(私も大好きですわー)と組んで任務にあたる、というのは実に観たいですが、ボンドでない007が主演というのもイアン・フレミングの遺族が黙ってないでしょうし、あるとしてもスピンオフでしょう。

 

 

4)実は生きてた。ミサイルを食らったボンドは死ぬ間際に王大人みたいな人に助けられ、全身に火傷を負ったので整形手術で顔を変え別人の顔で00課に復帰。この場合ここまでの展開で感動していた人がズコーとなるのは必定。

 

 

5)ボンドの娘が成長して十代のエージェントとして00課に就任。アニメ版かな?

 

 

…というような妄想はさておき、後任選びも含めてかなり時間がかかると思いますし、シリーズのファンとしては辛抱強く待ちたいと思います。できればみんながアッというような展開で、ダニエル・クレイグが就任したときのような新鮮な驚きがあればいいなと。今作を以て価値観を更新し終えた新しいシリーズがどのようなものになるか、本当に楽しみです。待ってるよ!