カジノロワイヤルの手帖

banの映画感想&小説漫画音楽路上日常雑感。

境界のドラマ『ゴスフォード・パーク』(2001)

監督:ロバート・アルトマン。英国のとある貴族の大邸宅「ゴスフォード・パーク」に、鳥撃ちパーティのため親族とその客人が召使いを引き連れて大集合。貴族たちは優雅に晩餐会を催しますが、いかにして屋敷の主に取り入るか金を引き出すか等の思惑がぐるぐるしており平和なやりとりに隠れてバチバチ散る火花。穏やかではありません。

 

 

同伴の付き人と屋敷住み込みの召使いたちは主人らの身の回りの世話をしつつ晩餐会の段取りやメニューの調整などもこなさなくてはならずてんてこに次ぐてんてこ舞い。いろいろ騒動がありつつもお優雅なお鳥撃ちおパーティは無事終了。やれやれ、と思っていたところ、屋敷の主人が自室で刺殺体となって発見されました。いったい誰が…?

 

 

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名前の圧がすごい

 


屋敷!一族!確執!殺人!となると黄金期のミステリみたいで、犯人は誰か?その動機は?というようなミステリ的興味もあるにはあるのですが、この映画の眼目はそこではありません。貴族たちアッパークラスの俗物性と生活力のなさ、召使いたちロワークラスの主人に対する敬愛と侮蔑が入り混じる感情(とそれを隠した勤勉さ)。それら異なる階層をくっきりと描き分け、英国社会の階層間の依存構造といびつさを炙りだしています。

 


貴族たちはエラソーに振る舞いながらも召使いに依存しきった暮らしで、彼らがいないと何も出来ないロクデナシですが、金だけはやたらあるので態度はでかい。なんなら召使いを自分の所有物とみなしてこき使い、あまつさえ手までつけちゃう。召使いたちはそんな貴族たちを能ナシとして内心嘲笑しつつも、衣食住を保証される生活はこの当時にあっては大変貴重なため、表面上は貴族に従順に付き従いながら陰では悪口や噂話でうさを晴らしているのでした。やーねえ。

 


…この水と油みたいな2つの階層が接する境界上で、次々起こる様々な軋轢がこの映画のテーマですね。それが沸点に達して起こったのが殺人事件なわけです。

 


1930年代の英国貴族の優雅な暮らしと、その水面下で働く召使いたちの裏面が面白く、貴族はああみえて金策とか金づるの確保が大変で、財産目当ての不本意な結婚とか、その結果の家庭の不和とか、ああした暮らしを維持するのも実は楽ではないといったあたりや、召使いたちも仕事の後は一杯やったりお客とこっそり逢引したりと抜け目なくやりつつも、うっかりすると主人の子を宿してしまい捨てられる、といった苦労も。どの階層にもその場所からしか見えない地獄ってのがあるのだなあ、と観ていてつい真顔になります。

 


各家の召使いたちが入り乱れる現場では、混乱が起きないよう召使いたちも主人の姓で呼ばれる、といった召使いあるあるも面白いですね。ロケに使われたのは実在の英国のカントリーハウスだったりして、豪華絢爛で贅を尽くした上層の調度と、逆に生活感に溢れすぎる厨房や洗濯室といった下層のギャップも興味深い。

 

 

 


登場人物がやたら多い映画ですがそこはそれアルトマンなのできっちり捌いてくれます。出演者もマギー・スミス、ヘレン・ミレン、クライブ・オーウェン、エミリー・ワトソン、ケリー・マクドナルドなどまあ豪華。これら巧者たちのピリッとした英国風嫌味合戦が存分に味わえる群像劇でした。ラストは思わずもらい泣きのドラマチックさも。いろんな側面から味わえる、これぞ映画の豊かさってものですね。

エクストリーム暴力『0課の女 赤い手錠』(1974)

監督:野田幸男。主演:杉本美樹。女刑事の零(杉本美樹)はSMで女を責め殺した外交官を挙げるため、自ら囮になって追い詰めますが、肝心のホシを得意技の赤い手錠投げで捕らえたあと下腹に銃弾をぶち込んで殺してしまいます。外交問題を避けたかった上層部はカンカンですが事が事なのでうっかり免職するわけにも行かず、零を留置所に閉じ込めておくのでした。

 

 

いっぽう出所したばかりのチンピラこと仲原(郷鍈治)は暖かく迎えてくれた仲間たちとさっそく悪さを再開。港で別れ話をしていたカップルを襲撃して男は殺し女をレイプします。女が次期首相候補の南雲(丹波哲郎)の一人娘であると知った一味は身代金誘拐に及び、醜聞で首相の座があやうくなった南雲は警視庁に圧力をかけ秘密裏に解決するよう依頼。口封じのため犯人一味の抹殺を命じます。

 

 

この汚れ仕事を遂行するために留置場で飼い殺しにされていた零に白羽の矢が立つのでした。零は持ち前のクールさと行動力で犯人グループに接触、凄惨な暴力を受けながらも潜入に成功するのですが…。

 

 

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手錠と書いて「ワッパ」と読みます

 

 

いやあさすがに色々雑な70年代とはいえこんな荒唐無稽で漫画みたいな…という設定ですが原作がそもそも漫画なのでノープロブレムでした。そんなことは作っている方も百も承知。細かいリアリティは二の次、その上でいかにエクストリームな暴力描写を炸裂させるか、という点に重きが置かれています。飛び散る血糊!白煙を上げる弾着!爆発!火炎!カーチェイス!拷問!どんどん死ぬ人々!ペンキで真っ赤に塗った手錠が釣り糸で飛ぶ!その無茶苦茶な暴力の中から立ち昇ってくる野獣のような生命力がこの映画の身上です。

 

 

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主人公の零は殴られ蹴られ犯されても表情一つ変えない鉄の女ですが、主演の杉本美樹の華奢な肢体はそんな無茶な暴力にさらされて大丈夫か、おなか痛くならんか。とつい心配になります。杉本本人も演技の硬さがぶっきらぼうな零のキャラクターにマッチしており、野獣のような人間だらけの作中でただ一人のクールな存在感が際立ちます。

 

 

そんな零の周りを固めるのは郷鍈治、三原葉子、室田日出男、丹波哲郎といった希釈前のめんつゆよりも濃い面々。無鉄砲さがたたって実の弟をビール瓶で撲殺したあとは半狂乱になり顔面凶器度を更に高める郷鍈治。上層部の冷酷な命令に顔をテカらせつつも人間性を捨てて任務にあたる室田日出男の二人が激突する中、いいように連れ回されているだけの杉本美樹には若干の焦燥感(という名のイラつき)を覚えますが、そこはそれちゃんとヒロインです。ゲスい人間は皆殺しにして誘拐された女を助け、黒幕の丹波哲郎の政治生命もきっちり絶ってから赤い警察手帳をやぶり捨てるのでした。自分で塗ったのかな。

 

 


テカる室田日出男

 

 

最後に誘拐犯一味が立てこもるのが半廃墟となった米軍キャンプで、夢の島みたいに塵芥が吹きすさぶ中の激闘には社会のゴミ溜めで這いずり回る下層社会から巨悪に向かって喧嘩を売る反骨精神を感じますし、その反面当時幅を利かせていた過激派をヘナチョコに描いていたりするなど、体制にも反対性にも全方位的に銃弾を乱射するその怒り方がいっそすがすがしい。

 

 

令和のこんにちにあっては演技も舞台もアクションも道具立ても何もかも泥臭い映画で、特に女性の扱いに関しては当時としてもだいぶアウトなので観ていてキツい箇所もありますが、映画全体からにじみでる粗暴な雰囲気、無茶苦茶な生命力はもう再現しようと思ってもムリじゃないでしょうか。日本もこのころまではハングリーでした。その社会の断面がこういう映画にこそあらわれるものでしょう。おまえら今はうわべこそ小綺麗になりやがったが昔はこうだったんだぜ、と都合よく昔を忘れることを許してくれない映画でした。おわり。

ショック映画じゃないよ『テオレマ』(1968)

監督:ピエル・パオロ・パゾリーニ。主演:テレンス・スタンプ。イタリアのブルジョア一家は工場主の父、美貌の母、ファザコンの娘、バスケ選手の息子、中年の女中という平凡な家族構成で、特に波風も立たない平和な生活を送っていました。そこへひょっこり現れた謎の美青年(テレンス・スタンプ)。誰?とみんな思いますが青年はしれっと家族の中に入り込み居候を決め込みます。美青年とこの一家の関係やここに居着いた理由も一切説明されないまま、青年は全員を誘惑。地位も性別も関係なく全員と深い関係を結ぶのでした。

 

 

美貌か、謎めいた雰囲気か、それとも何か人をたらしこむ特殊能力でもあるのか。全員が全員青年に対してメロメロになったところで突如彼は「じゃ行くので」と一家を去るのでした。青年を知った一家はもう元には戻れません。静かに崩壊していきます。女中は職を辞して田舎に戻り、子供の病気を治したり突然宙に浮かぶなどの奇跡を起こします。息子は家を出て前衛芸術に没頭し、娘は謎の硬直を起こして病院へ。母は街でヤングメンたちをナンパして情事を繰り返したあげく出奔。父は突然工場を労働者に譲ったのちローマの駅のどまんなかで全裸になり、そのまま荒野を彷徨いながら咆哮するのでした。

 

 

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この足のシーンがまた変なんですよ

 

 

これねえ、小学生のころ本屋で立ち読みした児童書「ショック映画大全集」みたいな本になんでか載ってたんですね。その手の映画の残虐シーンを集めた本で、『世界残酷物語』とか『アンデスの聖餐』とか『悪魔の調教師』とかに混じってなぜかヨーロッパの文芸映画も紹介されており、『ソドムの市』とか『世にも怪奇な物語』なんかはまだしも『アポロンの地獄』とか『ブルジョワジーの密かな愉しみ』まで載ってて、セレクトがちょっとマニアックすぎるというか、ショックとか残酷とかに混じってあきらかに異なる方向性の映画が混ざっていたんですが、当時の小学生にそんなことがわかるはずもなく『テオレマ』っていうのはなんか怖い映画なのだ…という誤情報が成長期の清らかな頭脳に吸収されていったのですね。ておれま!

 

 

そもそもの意味は「定理」だそうですがこの小学生の頭には「ておれま」=「こわい」みたいなイメージが刷り込まれてしまったのですから罪な話です。文芸映画もショック映画も一緒くたのカオス本でしたがそれが40年以上経ったいまもこうして人間の行動に影響を与えているのですから児童書ってのは責任重大です。どうしてくれますか。ておれま!

 

 


そしていまその誤解を解くときがきた、というわけでもないですがついに観てみました。前述の通り変な話ですが残酷でもショックでもなく、どことなく神学的な、神に愛されたのち捨てられた人々の変容を描く映画でした。一見難解そうですがなんとなくわかるー、という感じの映画。なかなかおもしろかったですね。明言されていませんが作中のテレンス・スタンプは多分神。またの名を悪魔。彼は周囲の人を無条件に魅了し虜にしていきますがその理由のなさは彼が人間を超越した存在だからでしょう。

 


その神だか悪魔だかに平等に愛された彼らですが、労働者階級の女中だけが聖女のような存在になるのに対し、ブルジョアの一家はそれぞれ錯乱状態に陥る、というのがなんとなくパゾリーニのブルジョア批判を感じさせるあたりが面白いですね。この寓話のような映画にあって唯一現実感があり異質なのが冒頭のインタビューのシーン。工場を労働者に渡した発表に対してマスコミがそれは労働者革命の気勢を削ぐ行為では、あなたどう思いますか。と疑問を投げかけるくだり、ここだけが妙にドキュメンタリータッチで映画全体から浮いているのですが、それでもここは無くてはならなかったところなのでしょう。パゾリーニの政治信条が浮き彫りになっています。

 

 

デコの髪の少なさすら色気

 


しかしどこがショックやねんこの映画。いやまあ、突然駅の中で全裸になる中年男性とか、山荘のベランダですっぽんぽんになるマダムとか、ショックと言えばショックですが、それにも方向性ってものが…。とはいえこの映画は映像がまことに美しい。20世紀中盤のイタリアの田園風景や郊外の町並みがまるで絵画のようなたたずまいと構図で描かれていて、ショックなどなくてもそれに浸るだけで十分に観る価値があります。あとはやっぱりテレンス・スタンプの色気ね。この人の妖しい色気あってこそ成立した映画と言えましょう。そりゃまあみんなメロメロになっちゃうよね。ておれま!

 

 

 

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どうしてもアレを思い出す『コンボイ』(1978)

監督:サム・ペキンパー。主演:クリス・クリストファーソン。トラック野郎のラバー・ダック(クリス・クリストファーソン)は今日も仲間のピッグ・ペン(バート・ヤング)、スパイダー・マイク(フランクリン・アジャイ)と無線でヨタを飛ばしながらテキサスの荒野を爆走していました。しかし宿敵の保安官ライル(アーネスト・ボーグナイン)にスピード違反で捕まって賄賂をむしり取られたうえ、ドライブインでは難癖をつけられたので仲間のトラック野郎たちと大暴れ。保安官一行をボコにし、大型トラックは一団をなして逃走を決め込みます。

 

 

国家権力に喧嘩を売ったかたちのダックに共鳴し、日頃警察の横暴に泣かされている各地のトラック野郎が「おめえは男だ」「おれもやるぜ」と次から次へ一行に参加。大型トラックの行列はいつしか大船団(コンボイ)と化してアメリカの荒野をひた走るのでした。が、嫁の出産のために離脱したスパイダーは警察に捕まり、黒人という理由だけで理不尽な暴力を受けます。コレを知ったダックはスパイダーを助けるべくトラックを駆って警察を目指すのでした。

 

 

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当時小学一年生くらいでしたが、なんか流行ってましたねえこれ。「コンヴォーイ」という決めのナレーションもなつかしい。70年代も遠くなりにけりです。今観ると、本邦が誇るトラック映画の金字塔『トラック野郎』シリーズと非常に通じるものがあります。二つ名で呼び合う荒くれドライバーたち。トラック一台のきままな旅稼業。警察は基本的に敵。無線トーク。粗野だけれど気はいい仲間たち。違うのはあちらのトラックが電飾でデコられていないところぐらいでしょうか。この映画と時をほぼ同じくして日本でも『トラック野郎』が大ヒットしていたのがまた面白い。トラック野郎の日米シンクロニシティ。

 

 

 

しかし監督がペキンパーなので、本邦の『トラック野郎』における鈴木則文の下ネタ上等ギャグ路線ではなく、アクションのハードさで攻めていくのが味わいの違いですね。おとくいのスローモーション演出を酒場の乱闘で延々と見せるという珍場面もあり。その他砂煙を巻き上げながらのトラック爆走シーンや、トラックによる突入とぶっ壊しなど、あちらのトラックアクションはスケールがデカい。

 

 

まあ圧巻なのは大型トラックが百台くらい集まったと思われる大行列ですね。この映画のおかげであっちのトラックってものは砂漠を行列をなして進むもんだという固定観念が出来ましたからインパクトはお強い。さらに事態が大きくなるにつれて、ダックの人気を利用しようとする政治家が絡んでくるあたりもあちらの味です。政治家を姑息な存在として描いてはいますが、その支持者は真面目な市井の人たちであるというところまで描いていて、生活の一部に政治活動が根付いているあちらの気風を感じます。

 


かくて警察署前にせいぞろいしたトラックたちは『ワイルドバンチ』の死の行進みたいになかよく並んだあとおもむろにカチコミを開始。トラックに乗ったままノーブレーキで警察署に出頭です。田舎の警察署を空襲のあとみたいにしたダックは追われる身となり、メキシコを目指しますがマムシのように彼を狙う保安官が橋の上でマシンガンを構えて待ち伏せ。そこにニトロを満載したダックのトラックが悲壮感を漂わせて突進していくのでした。このへんは流石にペキンパーのタッチが生きてますが、いかんせんそこにいたるまでの演出がちょっとゆるめなのでなんとなく雰囲気が牧歌的というか、本邦の『トラック野郎』との意図しないシンクロニシティを感じるのがなんとも。

 

 

 

これ、原作がなんとノベルティソング。小説とかじゃなくて歌ですよ歌。ヒット曲の映画化(例:『上を向いて歩こう』『神田川』『河内のオッサンの唄』など)は日本映画の得意技ですがあちらにもそういうのがあったんですねえ。で、男一匹トラック野郎のダックと宿敵の保安官ライルの因縁の物語が、ディスコ調カントリーミュージックという面妖なトラック(ダブルミーニング)に乗ったラップで語られるという、これ日本で言ったら浪曲みたいなもんですかね?劇中でもダミ声のラップがOPとEDに流れて当時のアメリカ南部の泥臭い雰囲気をいや増しています。このへんの下世話な感じもやはり『トラック野郎』を彷彿とさせるのでした。コンボーイ。

 

歌ってるのはC.Wマッコールという方だそうで

 

 

神田川

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生きてくことはつらいけど『暴力脱獄』(1967)(※ネタバレあり)

監督:スチュアート・ローゼンバーグ。主演:ポール・ニューマン。パーキングメーターの故意破損というヘンテコな罪で2年の懲役を食らったルーク(ポール・ニューマン)。送り込まれた刑務所は横暴な看守による虐待と炎天下での道路整備という重労働、あまつさえ牢名主のいじめもあってこの世の地獄を濃縮したような世界でしたが、ルークは不敵な微笑みと不屈の根性で切り抜け、その真っ直ぐな精神はすぐに牢仲間たちの心をつかみます。しかしルークは母親の死をきっかけに度重なる脱獄を図るようになり、捕まって過酷な刑罰を受けるのでしたが…。

 

 

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この微笑みですよ

 


「ポール・ニューマンがゆで卵を50個食べる映画」という雑過ぎな前知識のみで観ましたが、これがズシンと腹に来る映画でしたね。物騒な邦題に反して、中身はとても不思議な、奇妙とも言える男の不屈の話です。暴力もちゃんと出てきますけど、別に主人公のルークの腕っぷしが強いわけでもなく、むしろ暴力を振るわれる一方。暴力的なのは一方的に刑務所の方でした。邦題どういうことだ。

 

 

劇中、まだ存命だった母親がルークに面会しにきて「あんたみたいな頭も良くて優秀でモテモテで戦争でも手柄を立てた子が、どうしてこんなことに」と嘆くシーンがありますが、この映画の焦点はまさにそこで、なぜよい子だったルークがパーキングメーター破損というしょうもない理由で刑務所に入り、しかも脱走を繰り返すのか、という理由を問うのがこの映画の柱の一つです。

 


ルークがこんな自暴自棄な、虚無的な性格になってしまったのはどうも戦争が理由らしい。パーキングメーターを壊したのも人から自由を奪うものへの抗議らしい。刑務所というのは社会とかルールとか権力のわかりやすい象徴で、それへの反逆、人の自由や尊厳を踏みにじるものへのNOをルークは貫いている、ということが観ていて解ります。

 


よく指摘されてることですが、ルークがしばしばキリストになぞらえて描かれており、彼はキリストと同じように神の試練を受けているとも取れます。しかしキリストは神の子として蘇えりますが、ルークは逆に神の不在を糾弾して死んでいきます。この世に神は居ない。なら人間はどう生きるべきなのか?ということをまざまざと体現しているのが、何があっても微笑みを忘れず、権力や横暴に屈しないルークです。彼は最終的には命を落としますが、死に際の微笑みは牢仲間の胸に残り、彼は仲間たちの心の支えとして語られ続けるのでした。

 

 

『ショーシャンクの空に』への影響も伺えますな…

 


いやポール・ニューマンがホントに良くてねえ…。劇中の彼の微笑みがカットバックされるラストシーンはそれは心にしみる。人間、生きていくだけでつらいし、理不尽な目にも会うだろうけど、ならば笑って生きよう。微笑みと尊厳は忘れちゃいけないよ。というメッセージがしみじみ伝わる映画でした。辛い仕事や境遇に負けそうになったときに、観ると勇気づけられる映画です(しみじみ)。

 


ポール・ニューマンの他にも、最初はルークをいじめるけどすぐに心酔する牢名主のジョージ・ケネディ(これでアカデミー助演賞を獲ってますね)を筆頭に、ハリー・ディーン・スタントン、ジョー・ドン・ベイカー、デニス・ホッパーなどなどその後のアメリカ映画を支えるいい味俳優が束になって出てるのも見ものでした。あの生後すぐ枯れたようなハリー・ディーン・スタントンにも若い頃があったんや…と変な感動の仕方をしましたよ。