カジノロワイヤルの手帖

banの映画感想&小説漫画音楽路上日常雑感。

かつてない異色作『007 スカイフォール』(ネタバレ無し)

007/スカイフォール オリジナル・サウンドトラック
監督:サム・メンデス。ミッション遂行中に撃たれ、生死不明となってしまったボンド(ダニエル・クレイグ)。MI6を爆破され「己の罪を思い出せ」と謎のテロリストに追い詰められるM(ジュディ・デンチ)。シルヴァという名のそのテロリスト(ハビエル・バルデム)は実は元MI6のエージェントで復讐心グツグツ。ヨッレヨレになりつつも復活したボンドはMを護ってシルヴァと対決するのであった…。というお話。


この映画、007としてはかつてない異色作です。Mと007とシルヴァという、Mを頂点とした三角関係&擬似親子関係を軸に、そこを掘り下げて深みのあるドラマを目指していますが、まさか007でガチの人間ドラマを追求してくるとは…。監督がアクションとは違う畑のサム・メンデスなのもそこを狙ってのことだと思われます。その試みはある程度成功していると思いますし、新鮮でもあるのですが、しかし007でそれやるってよう…という間違えて女子トイレに入ってしまったかのような場違い感。


ボンドとMの擬似親子関係は後半になってさらに強調され、なんと父親代わりの男まで出てきて、敵を迎え撃つ準備をしながら3人の間に親子のごとき関係性がにじみ出てくるという、感動の名作風味のしっとり描写が展開されます。いや映画としては良いかも知れん。ですがこれ、007なのです。スパイ!アクション!美女!秘密兵器!英国紳士ジョーク!というかつての方向性からは人が違ったような重厚な人間ドラマっぷり。どうしちゃったのボンドちゃん!


人間ドラマといえば、今回ボンド自身もやたらと人間臭く、死にかかったために上司不信になるわアル中になるわ腕は落ちるわで、かつてのスーパースパイっぷりはどこへやら。もちろん数多の映画ならこれらは全部キャラのコク味を増すための周到な仕込みになるのですが、でもこれって007なんですよ。繰り返しますが。ここまでボンドの人間臭い部分を赤裸々に描いたことは今まで無かったのです。ダニエル・クレイグ主演となってから多少なりともその傾向はありましたが、ここまで突っ込んでやってるのは初めて。かつてない容赦無さで描かれるダメボンド。確かに人間ドラマとしてのコクは深まったものの、そのためにヒーローとしてのボンド像は少なからずトレードオフされておりまして…。むむむ。


そのあたりをさり気なく映画の彩りとして描いたのであれば、あまり気にならなかったかも知れませんが、今回はむしろそこが映画の根幹を成しています。ここが過去作との決定的な違いで、ファンであれば感じるであろう大きな違和感、異質感の原因でしょう。


これアカデミー賞を狙ってるんじゃないでしょうかね。これまで007は技術部門を除いて受賞とほぼ無縁でしたから、シリーズ開始から50周年の節目に当たる今作で主要部門への食い込みを狙っているんじゃないか。そのために掘り下げられた人間ドラマであり、アカデミー賞監督と俳優の起用ではないか。作家性の結果こうなったのではなく、最初から戦略的に企まれた賞レースへの目配せではないのか?そういうスケベ心の介在を感じます。そのためにますますブーストされるかつてない異質感。


とにかく、これは本家007としては史上最大レベルの異色作といえます。終盤に向かう展開といい、衝撃的な結末といい、異色の一言。しかも因果なことにこれがまた結構面白かったりして、ファンの心情は複雑です。特に特筆しておきたいのはシルヴァを演じたハビエル・バルデムの怪演!『ノーカントリー』の時とはまた違った方向性でガイキチな悪役をこれまた実っつに楽しそうに演じてて、ここ20年では007の悪役として最高のインパクト。逆に今回ちょっと弱いのはアクション方面で、歴代のシリーズに比べてやや見せ場とスケール感に欠けます。まあ人間ドラマ方面に重きを置いたせいもあるでしょうが実はMGMの財政難のせいなんじゃね?予算ケチった?


とりあえず今回は概観としてここまで。次回はネタバレしつつ作品のディティールについて細かく書いてみたいと思います。乞うご期待。





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突き刺さる魚の小骨『ダークナイト ライジング』(ネタバレ有り)

※ネタバレてるので未見の方はご注意ください。


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監督:クリストファー・ノーラン。主演:クリスチャン・ベール。前作にてバットマンは検事殺しの汚名をあえて着るという苦渋の決断をし、その結果ゴッサム・シティからは犯罪が消えたものの、バットマンにしてみれば自分の出番がなくなった上に市民からは人殺し呼ばわりなので、あれから8年間お屋敷に引きこもり中。一方犯罪は無くなったように見えて地下に潜っており、ベインという不気味なマスクの大男が文字通り地下に一大帝国を築いて着々と準備を進め、ついに蜂起してゴッサムを占拠するのでした。ベインはゴッサムという街の矛盾や格差を精算しようとし、街をカオスに叩きこむべくこれを封鎖して無政府化。戦争状態にします。バットマンは引きこもり状態から立ち直るものの、ベインに負けてすべてを失い、穴蔵に幽閉されてしまいますが、不屈の精神で這いずり出て逆襲を…。


いやあ燃える話だ。実際、ベインがゴッサムを占拠してしまうあたりは『パトレイバー2』みたいでハラハラが止まりませんし、バットマンがヒーローとして最後に取る自己犠牲の精神には男泣きボムが炸裂でつい鼻の奥がツーンと…。


するにはするんですが、ほんのりと漂う釈然としない感じ。というのは、冒頭から「えっ」「えっ」「なんで?」という魚の小骨のような細かい突っ込みドコロが連発されてしまうためで、観ていてどうも落ち着かない。例えばしょっぱな、ベインが物理学者を拉致して飛行機の墜落で死んだように偽装するシーン。ベインは人質を装って、顔にズダ袋を被せられた状態で飛行機に乗り込みますが、離陸してから乗せた方は袋を取ってビックリ。「ベインじゃねえか!なんでお前が!」えっ。乗せる前に顔を確認しろよ!そしてベインは墜落する飛行機にわざわざ替え玉の死体を持ちこみ、学者から死体へ輸血して物理学者が死んだように見せかけようとするのですが、人間の身元ってあの程度ちょろっと輸血したくらいで誤魔化せるもんなのか。というかそもそも替え玉死体が学者とはあまり似てないので墜落したあと焼け残ったらどう考えてもバレるだろ。などといった細かいツッコミどころが波状攻撃で押し寄せてきますが、同時に激しいアクションも進行しているので見る方もとりあえず受け流しつつ、心のどこかに残るわずかな違和感。


このように、細かな違和感が映画全編を通して蓄積されていくのを、激しいアクションとキャットウーマンのコスプレ姿でウヤムヤにしてゆくという力技の作劇方針が功を奏し、鑑賞後の満足感のなかにも喉に小骨が刺さったような気分が残るという、タダの娯楽映画には無いフクザツな後味を実現しました。いや、実際に面白いんですよ。2時間45分という膀胱にやさしくない長尺ながら、一瞬も飽きない。バットマンとかゴッサムとか、こんな事態になっちゃってこの先どうなるの?ベインちゃんは一体何をしようとしているの?巨大な監獄と化したゴッサムの市民の運命は?先の展開が猛烈に気になります。


しかしそのようにドカンドカンと映画を盛り上げつつ、はしばしで見つかる小ネタのようなツッコミポイントがせっかくの盛り上げを片っ端から相殺してゆくため、映画のテンションに比して観客のそれは今ひとつ追いつかないという、アクセルベタ踏みでエンジンは焼き切れそうなのにスピードは「まあ、速いよね」くらいにしか出てないという奇妙な状況となります。特に今回のマクガフィンである核エネルギーの扱いの雑さがすごい。いま世界で一番核に敏感な国の観客を舐めんじゃないよ。まあ並のアクション映画なら笑って許せるトコかも知れませんが、しかしこれはあの『ダークナイト』の続編なのです。これ以上ないところまで上がりきってるハードル。


今回の悪役、ベインちゃんの目的もいまひとつよくわからない。「虐げられた者たちに光を!」なのか「バットマンに復讐を!」なのか「搾取を続けてきた者たちに罰を!」なのか。どれもこれもありそうなのですがどうもハッキリせず、最終的にゴッサムを核でふっ飛ばしたらもう俺はそれでええねん、という雑な手段の目的化を起こしてしまいます。それじゃ今までの行動は一体なんだったんだ!いや目的がよくわからないという点では前作のジョーカーも同じですが、向こうは滅茶苦茶な行動を取りつつも、逆にそのことで「人間を、バットマンを、試す」というポリシーが貫かれております。が、ベインにはそうした、人間やヒーローに対する疑問者/告発者たる面が弱い。そういう存在であろうとして刑務所を襲撃し囚人を開放したりしているものの、じゃそのことでお前は何をしたいんだ。結局ぜんぶ核で吹っ飛ばすくせに。今回、ここが最大の弱点かと。バットマンの影であるべき悪役の造形がぶれているために、影の本体であるバットマンの造形までもぶれてしまいかねないという…。さらに終盤、真の黒幕が出てきたことでベインの存在自体が空虚であったことが判明し、ベインはタダの雑魚に成り果ててテキトーな感じで倒れたまま以後出てこなくなりました。根性みせんか!


繰り返し言いますが面白いんですよ。でも、前作の突き詰めたヒーロー論を観たあとでは、やはり詰めの甘い映画だと言わざるを得ない。そうした意味でも、内容的にも、一作目の『バットマン・ビギンズ』の直接的な続編と考えれば非常に収まりのいい映画です。そして『ダークナイト』はやっぱり鬼っ子だったんだなあ、と。


おまけ。執事役のマイケル・ケインが今回凄くいいです。職を賭して主人を諌めるシーンが泣かせます。彼の優しさと男気に全世界のケインファンはもらい泣き必至。執事萌えの方は号泣です。



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【初回生産限定スペシャル・パッケージ】ダークナイト(2枚組) [Blu-ray]

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お仕事のブログやってます


えー昨年から自営業者として生計を立てておるわけですが、昨年末に「スタジオ・サニーサイド」という屋号を掲げました。で、実はそちらのほうでもブログをやってまして、業務のパートナーであるkatoと共に、週二回更新を行なっています。ゲームのサウンド、およびテキストの仕事内容についてのブログなので、まあ専門的なことも書いてますが、それ以外のゆるいことも割と書いており、またそこはそれ同じ人間が書いておりますので、当ブログとも微妙にノリが似ていたりなんかして、まあつまりあっちの方も読んで頂ければ幸いでございます。オイラは火曜更新、katoは金曜更新です。


スタジオ・サニーサイド


あとついでにばらしちゃうと、Twitterもやってます。こっちはさらにゆるいよ!


@ban_1971




今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

「第一阿房列車」内田百間

第一阿房列車 (新潮文庫)
元祖鉄ちゃんでもあるエクストリーム偏屈じじいこと百間先生が、ただ鉄道に乗りたいがために「なんにも用事がないけれど」列車に乗って全国各地へ行って帰ってくるだけという画期的すぎる旅行記。なんかこう銀河鉄道にでも乗っているかような、夢のなかを旅しているような浮遊感と、百間先生&お供の弟子が繰り広げる噛みあわなさ過ぎる会話のおかしさが絶妙。百間先生→偏屈ボケ、お供→ハイパー天然ボケ、というハイレベルなボケ同士がぶつかり合うツッコミ不在の異次元問答を見よ!この二人の会話にとどまらず、百間先生独特の偏屈美学が炸裂した結果引き起こされる珍事件の数々がウヒャヒャヒャというこらえ切れない笑いを引き起こします。偏屈じじいが己の偏屈を貫き通した結果、列車に乗り遅れたりご飯を食べそこねたりして内心面白くないくせに、偏屈はやめずムッツリ座って体面を繕っているという、めんどくさいんだか可愛いんだかわからない偏屈ぶりが微笑ましい。炸裂する偏屈芸。愛すべき偏屈道。面白いので続きの第二第三も読みたい所存です。来たぜ百間ブーム!(個人的に)


…と思いつつ古本浪漫堂に行って、数年前から棚の定位置を占めたまま全く売れる気配を見せなかった百間コーナーを見たところ…ない!根こそぎ売れてしまっている!そこだけ本棚にぽっかりと穴が!ギャー!店長いわく、最近複数のお客さんがまとめて買っていったとのことで、これはもしや本当に来てしまったのか…世間に百間ブームが…と内心ガクブルした次第です。乗り遅れないように早く続きを手に入れよ。もういっそ全集買うか。極端です。


第二阿房列車 (新潮文庫)

第二阿房列車 (新潮文庫)

第三阿房列車 (新潮文庫)

第三阿房列車 (新潮文庫)

本筋に関係のないところで泣いてしまう『ファインディング・ニモ』

ファインディング・ニモ [DVD]
監督:アンドリュー・スタントン。ここはどっかの海の中。カクレクマノミのマリーンは愛する嫁と孵化間近の卵(大量)に囲まれて幸せの極みにいましたが、通りすがりのサメに嫁と卵をペロリといかれて呆然自失。しかし躾のなっていないサメは卵をいっこ食べ残していたのでした。マリーンは生き残ったこの子にニモと名付けそれはそれはそれは大事に大事に大事に育てますが、大事さも余っては過保護に成り果てます。学校に行く年頃になったニモは「とうちゃんウザいー」と学区外に一人で出るという根性だめしをしていたところをダイバーに捕獲されビニール袋に詰められて海の上へ。愛するマイサンを奪われた父ちゃんは狂乱。前後の見境を忘れて愛する息子の奪還に向かいますが、しかしそこは普段からイソギンチャクに隠れて生きるカクレクマノミの悲しさ。こんなちっぽけな魚に一体何ができる?でもなんとかしなきゃ!というお話。


いやオイラも人の親となったいま、こういう親子が生き別れになってしまう話にはめっぽう弱くなってしまい、ニモがさらわれて父ちゃんが一人になってしまうくだりは観ていて非常にツラく、ああ何てことだ愛するマイサンと生き別れてしまうなんてこの世にこんなツラいことがあっていいのだろうか。ツラい。ああツラい。観るのやめよう。とDVDの停止ボタンをあやうく押しそうになりましたが、そのマイサンの方はかじり付くように画面を凝視していたのでハタと思いとどまり事なきを得ました。


まあそのようなバイアスがこちらに掛かっているので観るのにも力が入ります。父ちゃん頑張れ!とは言っても父ちゃんは今までイソギンチャクに隠れて生きていた一介の小魚なので一体どうすればいいのか途方に暮れまくりです。しかしそこはマイサンを愛するパワーで闇雲に突き進んだところ、サメに襲われたりクラゲに刺されたりの大冒険をしつつもなんとか息子に近づいていくのでした。頑張れ父ちゃん!


そのような父ちゃんの頑張りに皆が心打たれ、「父ちゃんがニモを探しています」という情報が口コミでうわっと広がってゆくあたりの描写が感動的です。いやこの映画的にはべつにここは感動しなくてもいいとこだとは思いますが、しかしオイラはここのくだりが一番グッと来てしまった。なぜみんなそんなにも善意に溢れているのか。なぜそんなにも思いやりに満ちているのか。オイラが住んでいるこの現実世界のどうしようもなさから見れば奇跡のような温かい世界が広がっていて、いやもちろんこれは映画ですしCGですしファンタジーですし徹頭徹尾作り物でそれは判り切ってるんですけれども、それでも自分が心の底でこういう温かい世界を渇望していることに気付かされてしまう。テレビをつけりゃ胸クソ悪いニュースだらけで、ネットを見ても叩きに炎上と、人間と人間が互いをすりつぶし合って骨の軋む音しか聞こえないようなこの現実世界に比べたら、この映画の善意に満ち溢れた世界はなんて温かいのか。今自分の居る世界からはあまりに程遠く、手が届かなく、それゆえに美しい。


まあそのような本筋にあまり関係ない部分について主にこっちの都合で感動していたわけですが、色々あって父ちゃんはニモの居場所を探り当て、ニモはニモで試練を乗り越え、「過保護はいかんよね」「父ちゃんの言うことはちゃんと聞かんといかんよね」と互いに成長して完。という実にディズニー的な予定調和ワールドのうちに映画は完結します。そこに至るまでの過程がたいへん面白くスリリングに描かれているので娯楽作としてはまったく無問題でした。ビジュアル的には観ててなんだか閉塞感があるなあと言う気がしていたのですが、まあ海の底という舞台がもともと遠方の見えない視界の狭い世界なのと、肺呼吸野郎である人間からすれば息の続かない水中であるという点で、この点はこの映画の舞台が根底に持っている宿命かもしれません。時々出てくる海上や地上の方に開放感を感じるのは我々が水中に棲まない種族だからでしょうか。まあ自分はDVDで観ちゃったので、劇場やブルーレイで観た場合はまた印象が違ってくるのかも知れません。