カジノロワイヤルの手帖

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蔵出し随筆「裏庭」

※これは2003年頃に、ふと思い立って書いた文章です。ウチのサイト(旧「カジノロワイヤルの逆襲」)には合わんなー、と思って塩漬けにしておりましたが、つい先日HDDの掃除をしておりましたところ、このテキストファイルを発見。更新の滞っている当ブログ更新の埋め草にちょうどいいやと思って掲載する次第であります。掲載にあたっては、改行誤字脱字を直すのみで、基本的には2003年当時のまま掲載しております。




「裏庭」


3年前から住んでいるこの部屋は1階にあって、出窓とベランダを足して2で割ったような窓が、申し訳程度の裏庭に向かって突き出している。男の一人暮らしということもあって、夏の暑いころにはそこを開け放して寝たりしてたのだけれど、明け方に何者かがくいっくいっと胸をつついてきて、何だ何だと目を覚ますと迷い込んできた猫が私の胸に乗っていた、なんてこともあった。ちなみにその猫は私と目が合った瞬間に脱兎のごとく(というのも変だな)逃げ出して、出窓からこちらの様子をうかがったあと、なんとなく気まずそうな様子でスルリと抜け出していった。


そんなこともあったのだが、うちの裏庭は結構猫の通り道になっていたようなのだった。そういえば、つい近所で猫が10匹も集まって集会をしていたこともあったし、そこまでいかなくても車の下で子猫がゴロゴロとじゃれていたりとか、わりと猫がうろうろしている場所だった。猫好きの私としては、願ったりかなったりというか、まあエサの一つでもあげてみようか、なんてどこかの猫屋敷の婆さんみたいな事を考えたりしていた。


ところが…それだけ頻繁に見かけていた猫たちだったのだが、いつの間にかほとんど見かけなくなってしまった。季節は夏が終わって秋が来て、もう少ししたら北海道の冬が足早にやってくるか、と言った頃だ。なんだか夏が終わるといなくなるセミみたいな話じゃないか、と思いつつ、もう出窓を開け放して寝ることもなくなって、あの明け方の猫の柔らかい肉球と可愛らしい足の重みを思い出し、ちょっと寂しさを感じたりもした。


そして猫の集会もめっきり見かけなくなった。たまに、向かいの家に住んでいるペルシャ猫が玄関先をうろうろしていて、こちらにすりよってくるので抱き上げてやったら、いきなり「フウッ!」と荒い鼻息をひと吹きして怒った、ということもあったが、でもあれだけいた猫たちは一体どこへ消えたのだろう、と不審さは拭えなかった。


が…。ある日突然その疑問が氷解してしまった。猫が消えた原因は、どうやらウチの裏庭にあったらしい。部屋の空気を入れ替えようと、ひさしぶりに出窓のカーテンをあけると(ウチは一階なので、普段カーテンは閉め切っているのだ)、そこには異様な光景が広がっていたのだ。


そこには水の詰まったペットボトルが、おびただしい数で整然と並んでいるのだった。猫避けのペットボトルは、その効果はともかくも普通に見かける光景だし、実際にこの近所でも見かけているけど、さすがに15センチ間隔で裏庭をギッシリを埋め尽くしているのは異様である。そのていねいな並びかたにはかなり神経質なものを感じたし、しかも御丁寧にブロック塀の上からCDを等間隔に吊るしているというスキの無さには反射的に背筋に薄ら寒いものを感じた。


実はうちの裏庭にはこまかな砂利がしきつめてあったのだが、アスファルトばかりで土に乏しいこの近所にあって、どうやらこれが猫たちにとって格好の公衆トイレになっていたらしい。事実、それまでそこに猫の糞が転がっているのを見かけたのは1度や2度ではなかった。そのことが大家の逆鱗に触れたのか、あるいは他の入居者の苦情があったのかは判らないが、こうして偏執的なまでの対策がほどこされた…というものらしい。


たしかにそれはある必要があって並べられたものなのだろうけど、その整然と並んだ様子と、量の過剰さは、確かに目的を通り越した何かを醸し出していた。猫の糞害に対する苛立ち、怒り、ひいては猫そのものに対する憎しみ、そういうものを直接に感じさせる凄みがあった。猫が水の入ったペットボトルを本当に怖がるのかどうかは知らないが、そういう効能を置き去りにしたところで裏庭のペットボトルは効果を発揮していたと思う。猫もそういうネガティヴな雰囲気を敏感に感じ取ったのかも知れない。そして、自分が生活しているすぐそばで、そういうある種の「呪い」すら感じさせる場が形成されているということに、私は少なからず慄然としたことだった。


裏庭のペットボトルが置かれてそろそろ2年になる。2回の冬が過ぎていったが、雪が解けるとまた新しいペットボトルがいつのまにか置かれている。そして相変わらず、うちの近所では猫を見かけない。

 
2003.05.07