カジノロワイヤルの手帖

banの映画感想&小説漫画音楽路上日常雑感。

最近観た映画のメモ(2024年3月)

黄龍の村』(2021)監督:阪元裕吾

 

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初見。ネトフリで評判になってるらしく、尺のコンパクトさ(66分)もあって観てみました。キャンプに出かけたウェ〜イ度の高い男女8人( ま た か )。お決まりのウェ〜イ行為を野放図に繰り広げるため観客のイラつきメーターは早期のレッドゾーン突入を実現します。しかし山の中で車がパンクしてこれは困った、ということでお近くの村落に助けを求めたところ、そこは恐るべき因習がはびこる恐怖の村なのでした。という話。

 

…とだけ書くと、今どき激安DVDでももう少しひねった設定にするだろ、という惰性感あふれる凡作ホラーのようですが、そう見せかけて実は…という映画なので可能な限りネタバレを避けて観ていただきたい。全編にみなぎる低予算感と演出&脚本&演技の荒っぽさは如何ともし難いものがありますが、そこを勢いとアイディアでゴリ押ししてくる怪作です。

 

とはいえホラーとしてザラッっした不穏さを感じさせるものもあって(以下はネタバレじゃないですよ)、村の因習とか儀式とか、まあお決まりの感じのが出てくるんですが、これがなんというか、伝統も品位も感じさせない絶望的なまでに雑で安いディティール。例えば因習にまつわる儀式がヤンキーのバーベキューみたいだったり、お供え物にマヨネーズがかけてあったり、村人も田舎のヤンキーが成長しないまま年だけ取ってしまったような佇まいで、現代社会の安っぽい部分と田舎の閉鎖性が悪魔合体したみたいな、観ていて暗澹たる気持ちになるディティールで描かれています。そのどうしようもない安さの為に人が死ぬ、というやりきれなさと不条理さ。平山夢明のイエロートラッシュ小説みたいな恐ろしさがあります。

 

この安さが指し示すものは文化からも豊かさからも取り残された共同体の、垢じみた臭いのする閉鎖性です。『脱出』や『悪魔のいけにえ』に見られるようなアメリカの田舎のあの恐ろしさを日本の山奥に翻案してみせ、しかもそれは今の日本にありふれているものでもあるんだぜ、ということを感じさせてヒヤリとさせます。

 

というような感慨も後半の超展開で吹っ飛びますが、それ自体が今の日本の行き詰まった状況へのカウンターであるところが面白かったです。

 

 

 

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『ザ・キラー』(2023)監督:デヴィッド・フィンチャー

 

 

初見。なにげにネトフリオリジナルの映画は初めてかも知れん。ミヒャエル・ファスベンダーはプロの殺し屋。ちょっと前からターゲットを狙撃すべくポイントに籠城し、俺って凄かろ?的なニュアンスを匂わせながらプロフェッショナルとしての哲学をモノローグで語り倒します。ようやくターゲットが現れたので満を持してこれを狙撃するも、うっかり失敗。何しとんの。さっきまで並べ立ててたゴタクは一体…となるなか殺し屋は一流の逃げ足を見せ無事国外に脱出。アジトに帰りますがそこには失敗を彼の死で贖おうとする組織の手がのびており、というお話。

 

最初は『メカニック』(ブロンソンの方)みたいな殺しのマエストロっぷりをフィンチャーのタッチで存分に楽しめる映画かと思ってたんですが、どうも思ってたんと違う。こっちの方は確かに手段も手際も洗練されていて、モノローグでイキり倒すだけのことは、まあ…あるのですが、肝心な場面でちょくちょくやらかすので観ていてこいつほんとに大丈夫か。という気分になってきます。

 

完璧な殺し屋など存在しないし、やらかしにもアドリブで対処できてこそプロ、ということかもしれませんが、その割にモノローグだけは常にスカしているので、もしかしたらこれってそういうギャグなのかな?というような疑惑も生まれてきます。しかしフィンチャーはふざけた感じは一切出さずクソ真面目にいつもの冷たいタッチで話を進めており、いくつか出てくる殺しの現場も十分スリリングなので、見ているこっちはいったい何を感得しながら観ればいいのか、ちょっと宙ぶらりんな気持ちになってしまうのも確か。

 

最後は組織との対決を終えた殺し屋のモノローグで締められるのですが、さすがに自らのやらかしで面倒くさい後始末をするハメになったのを反省したのか、俺も結局凡百の男だよ的な殊勝な結論に達していて、職業殺し屋の世界も実際のところは地道で面白みがなく普通の仕事と変わらないものなのだよ、みたいな皮肉が込められているのが、やっぱりこの映画はギャグだったのかな?と考えてしまう所以です。

 

ティルダ・スウィントンが同業者として出てきますが、死を覚悟したあとキープしてある自分のボトルを出させて高そうなウイスキーを惜しげもなくガブ飲みするシーンがあり、うわっ羨ましい飲み方してなさるうう、とそこはヨダレが出ました。おわり。

 

 

 

 

 

小さな巨人』(1970)監督:アーサー・ペン

 

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初見。オロCの映画じゃないよ。昭和もすっかり記憶の彼方ですね。養老院で暮らす御年121歳のダスティン・ホフマン。彼が語る波乱万丈にも程がある人生。波乱万丈過ぎてこれじじいのホラじゃねえのかという雰囲気もありますがそれがまたいい。10歳の彼は両親をネイティブ・アメリカンの襲撃で亡くしますが、途方に暮れたところをシャイアン族に拾われ育てられ、白人ながら家族同様に育てられます。成長して白人との戦いに襲撃したところを今度は白人に拾われ、そこから先は白人社会で詐欺の片棒をかついだりガンマンデビューしたり結婚したりまたシャイアン族に出戻ったり、はしばしで同胞や家族を白人の襲撃で失ったりと散々な目にあうのでした。

 

それまでの西部劇においては、「インディアン=白人の敵」という固定観念で語られていた所を、いやこれ白人の横暴でしょう、という視点で見直した歴史の転換点にある重要作で、アメリカン・ニューシネマの代表作ともされている映画です。そうした歴史的意義は観ていて十分感じられますが、その一方で西部を舞台にしたホラ話としての側面がおかしく、飄々としたダスティン・ホフマンの演技も相まって、ヌケヌケとした語り口のコメディとなっています。

 

また白人によるネイティブ・アメリカン迫害もはっきり描いていて、欲と偏見と驕りに凝り固まった白人よりも、万物をあるがままに受け入れ自然と一体になって暮らすネイティブ・アメリカンのほうがよほど人間味にあふれており、白人とネイティブ・アメリカンの戦いは明らかに強者による虐殺でしかなく、さらに彼らの境界を行き来する主人公からすれば、同胞であるはずの白人からもネイティブ・アメリカンからも襲われる大不条理でしかありません。狂言回しである主人公を通じて、争いの無意味さが浮かび上がってくるのでした。

 

脇の登場人物がよく、出てくるたびに体の一部が欠損していく詐欺師マーティン・バルサム、一見敬虔なクリスチャンですが実はいつもムラムラしているフェイ・ダナウェイなど妙におかしい。シャイアン族の酋長で主人公の養父を演じたチーフ・ダン・ジョージは風格ある容貌と懐の広い人間性、物静かな表情の中に見せる深い愛情と滋味で、この映画の美点を一身で表現する名演でした。