カジノロワイヤルの手帖

banの映画感想&小説漫画音楽路上日常雑感。

ナウなヤングの渡世人入門『股旅』

監督:市川崑。主演:小倉一郎、尾藤イサオ、萩原健一。時は天保のころ。渡世人として世間をその日暮らしのノリで渡り歩く三人の若者たち。彼らは一宿一飯の恩義のためにつまらない喧嘩の助太刀などのケチな仕事をこなしていました。渡世人といえば聞こえはいいものの、出で立ちはボロボロでどうみても乞食一歩手前。彼らは明日の予定もおぼつかないフラフラした生き方で流れ流れたあげく、なんとなく野垂れ死んでいくのでした。終わり。


予告編


股旅と言うと、どうしても粋でイナセでニヒルな渡り鳥っぽい何かを連想してしまいますが、そういうスタイリッシュなところからは2万年くらい離れたところにあるのがこの映画です。とにかく汚い。編笠はボロボロですし服はツギハギ。頭はボーボー。足は真っ黒。そういう汚い男が3人、だんご3兄弟のようにつるんであっちでフラフラ、こっちでヘドモド、あてどもなくフラつきまわって最後にしょうもなく死ぬという、いやあ江戸の昔から無軌道な若者の生態ってヤツは全然変わってないじゃんか映画。この映画が作られた1970年代前半はまだヒッピー文化のまっただ中で、この映画における股旅野郎もつまらない百姓生活を拒否し気ままな暮らしを指向した結果の渡世人稼業であり、まあ言わば彼らは天保のヒッピー、江戸時代のフーテン。映画もその辺を強く意識しております。


ただ、股旅の暮らしといっても思ったほど気ままなものではなく、むしろ渡世人として行きてゆくための、渡世のしきたり、義理というものにがんじがらめに縛られていて、そこから逸脱しようものならあっという間にボコにされ死ぬ、というあたりが非常に皮肉が効いてて面白いのです。この映画はそうしたあまり知られてない股旅の生態をつぶさに描いており、大変興味深い。例えば任侠映画でよくある仁義の切り方。流れ者がその辺一帯を仕切る親分のところに世話になるときの挨拶の仕方ですが、これにも渡世人同士にしかわからない厳格な仕儀があって、なにもテキトーに「おひけえなすって」「なすって」と言ってりゃいいいものではなく、厳密なプロトコルに則って行わないと大変失礼であるばかりか信用すらされず従って一宿にも一飯にもありつけず、言い間違いなどがあれば怪しのものとして殺されることもある、というから大変です。


なのでこの映画の主人公たちも間違えないように必死で丸暗記して、調子もへったくれもなく暗記した口上を読み上げる様が可愛らしいというか危なっかしいというか。他にも、頂いたゴハンの正しいお代わりの仕方とか、一宿一飯の恩義の返し方とか、喧嘩の際はムダに死なないためにどうやって角が立たぬよう手を抜くのか、みたいなHow To 股旅情報が満載で明日から渡世を目指すナウなヤングにピッタリの内容です。いやあこういう未知の世界を垣間見せてくれる映画っていうのは無条件に面白い。しかも映画の中でそれをやっている3人がボンクラ揃いで、仁義の口上は頼りないし喧嘩でも腰が引けてるし、世話になった親分には騙されるしでいちいちブラックなコントみたいな状況になっており、クククと黒い笑いがもれます。


つまらない百姓ぐらしなんかまっぴらだ。渡世人になって面白おかしく生きるのよ。という意識の低い動機でこの業界に入ったものの、こっちはこっちで厳しいし世知辛いし、仕事はせこいのばっかりだし、その割には命をやたら張らされるし、実はすんごいブラック業界だよねという現実。その中で流されるまま生きて締まらなく死んでゆく若者。こういうのは姿形を変えつつも昔から今に至るまで繰り返されてるよね、と映画は突き放して語ります。1973年の映画ですが、その内容は2014年の今にも十分通じるものがあって、その普遍性を股旅という存在に見出した脚本が秀逸です。なんと市川崑谷川俊太郎の筆。あの詩人が!


余談。渡世人のしきたりの中でも際立って奇妙なのが、親分さんに最初の挨拶を入れるときのいわゆる「軒下の仁義」と呼ばれる一連の問答。客とホストの互いの面子を立てるために回りくどいほどの遠慮が炸裂しており、その複雑さが安易な偽物の出現を防ぐプロテクトの役割をも果たしているという、ただでさえ厄介な日本の挨拶文化の中でも異形レベルのものですが、それだけに面白い。下の動画でその奇妙さの片鱗を味わうことができるので興味のある方はぜひ。これ、その場で適当に遠慮しあってるのではなくて、こういう順序で遠慮をする/されるという段取りが最初から型として決まっているという、まさに遠慮の文化の極みですね。うっかりトチったらどうなるんだろうとか、いろいろ想像するだけで面白い。凄いな〜。


良純の孤独な戦い『凶弾』

あの頃映画 「凶弾」 [DVD]
監督:村川透。主演:なんとこれがデビューの石原良純。私が高校生ぐらいの頃だったと思いますが、深夜にテレビでやってたのをふと目撃。なんだかモヤモヤした気分になり以後記憶の底にこびりついて離れなかったので、ちょっと前にCSでやってたのを録画して鑑賞。


良純はまだ19歳。少年院あがりの彼はそこで仲間になった古尾谷雅人山田辰夫とつるんで山中でライフルをぶっ放すなどの無軌道生活を送っていました。ある雨の夜、ずぶ濡れになりながら裸足でトボトボ歩いている訳あり娘(高樹澪)を冷やかし半分で拾ってドライブをキメていたところ、ちょっと車で追い越し違反をして張っていた警察に呼び止められますが、その時点ですでに飲酒運転、車は盗難車、ライフル所持、しかも座席にずぶ濡れの女という満貫状態でさすがの警察もスルーは不可。たまたま虫の居所が悪かった警官(阿藤快)は無抵抗の彼らを警棒でボコボコ打ちすえます。たまりかねた古尾谷は反撃して阿藤快の脳天に唐竹割りを決めその場から逃走。かくて良純たちの地獄の逃避行が始まるのであった…。というお話。



これ、題材は犯人が射殺されたことで有名な瀬戸内シージャック事件ですね。最終的に良純はいろいろあって銃砲店を襲い武器をたんまり強奪。そのまま観光船をジャックして立てこもり、空に海に銃弾をバカスカ撃っているところを遠くから勝野洋に狙撃されて死ぬ、という結末で、まかり間違えば日本版『トゥルー・ロマンス』か『俺たちに明日はない』といった趣の破滅型青春サスペンスですが、後世そういう評価にならなかったのはやはりデビューしたての良純の演技が何かこういろいろ無念な感じだったからではないかと。


実父が小説家&代議士、叔父が石原軍団のボスとあっては、良純が期待の若手として売りだされるのも故なしとは言いがたいのですが、やはりそれだけでは厳しいのがこの世界。圧倒的に経験が足りないためか、力みかえるばかりの演技は情感に欠け…というか、こんな坊ンにネンショー上がりの屈折したヤサグレをやらせるのがそもそもの無理かと。血筋はあっても鍛錬が足りぬまま主役に担ぎ出されてしまった良純は逆に気の毒とも言えます。


映画童貞を花と散らして頑張るそんな良純を、日本映画界の猛者共が演技力で圧迫していくという古今無双の追い込み漁映画です。良純を追う警察方面に、田中邦衛、滝田裕介、古谷一行平幹二朗、高橋悦史、勝野洋などの重すぎる面々。「良純〜!馬鹿な真似はやめて〜」と説得に当たるメンヘラ風味爆発の実姉に秋吉久美子。その祖父にいますぐこの場で死にそうな加藤嘉良純の保護司に煮ても焼いても食えなさそうな神山繁。そもそもが良純の仲間からして『丑三つの村』と『狂い咲きサンダーロード』という2大バイオレンス映画で主役を張ってる奴らです。そしてトドメは乗っ取られた船の船長に若山富三郎いいですか。仮にあなたが追い詰められた状態でやむなくシージャックに及んだとして(どんな仮定だ)、テンパッてプルプルしながらライフルを振り回している際に「船長は私だ」とドスの効いた声で言いながら出てきたのが若山富三郎だった場合、どうか。果たしてあなたは観念せずにいられるであろうか。わたしゃダメですたぶん。恐怖のあまり立ったまま漏らすか、器の違いに泣き崩れるかのどっちかです。


このような鉄壁の演技陣に孤立無援の棒読みで立ち向かう良純の姿が、劇中シージャックして孤独な戦いを続ける主人公の姿とついオーバーラップしてしまい、ああ慎太郎の息子として、裕次郎の甥として生まれることは想像以上に難儀なことなのかもしれんなあ、と映画の出来とは全く関係のないところで感慨が洩れてしまう一本。なお、公開当時映画は凄まじい不入りだったそうで、色々あったと思いますが良純が努力のすえ今の立ち位置を獲得できて本当に良かったと思います。以上、よろしくお願い致します。

あまりに引っかかりのない『プレーンズ』(ネタバレあり)

プレーンズ(2013)(Import) DVD
監督:クレイ・ホール。農薬散布機のダスティ君は、来る日も来る日も農薬を畑にまいて暮らしておりましたが、一念発起して老軍用機の訓練を受け、世界一周飛行機レースの予選に出てみたところ、なんか予選突破してしまったので本戦に出れるぜ!イエッフー!しかし彼はなんと高所恐怖症という弱点を抱えていたのでした。飛行機のくせに。はたしてダスティ君の首尾やいかに…。というお話。


車をはじめ、飛行機や船といった乗り物が、そのまま擬人化されて人間の代わりに社会を形成しているという『カーズ』の世界からのスピンオフ飛行機版で、タイトルも『プレーンズ』。直球です。『カーズ』一作目は類型的な作りながら、若者の成長を丁寧に描いた傑作で、続く『カーズ2』は一転してスパイアクションコメディになったという怪作でしたが、じゃこの『プレーンズ』はどうだったのか。正月の帰省先で『カーズ』大好きな息子(3歳)を引き連れて観てまいりました。ちなみに2D版を鑑賞。


感想:おもしくなかったです。


とにかく話が凡庸にすぎる。才能を秘めた若者がイージーなノリでレースに出て、ラッキーで予選を突破し、ライバルと友情その他をなんとなく育みつつなんとなく飛んでたらなんとなく上位に食い込んできて脚光を浴び、ライバルに妬まれ妨害を受けて窮地に陥るも、それまでの友情のおかげでみんなが助けてくれて無事優勝しました。終わり。というおでんの中の煮玉子のようなまことに引っかかりの無い話で、やっぱり主人公が試練を努力で切り抜けたり逆境に耐え忍んで光明を見出したり、というような明確な葛藤がないと物語というのはこんなに詰まらないのだな、ということをまざまざと体現しておりました。


作り手としても一応「飛行機のくせに高所恐怖症」という葛藤ポイントを設けてはおりますが、それによっていかに主人公が逆境を強いられるか、苦悩するか、つらい目に遭うか。といった描写が甘いまま、終盤に思い切って高く飛んでみたら意外に平気だったよ!ついでににジェット気流に乗って一番になったんだ!イエーィアハハハ!と言う感じで葛藤装置としての高所恐怖設定は見事に水の泡へ。おいコラ。


このあたり『カーズ』が類型的と言いながらもいかにうまく葛藤を脚本に盛り込んでいたかを思い起こすとよろしい。主人公のライトニング・マックィーンはイケイケの若手ですが、天狗になったために人望ゼロで内心満たされない思いを抱えておりました。コレが葛藤その1。さらに彼がある田舎町で罪を犯して勾留され、レースの前の大事な時間を全く望んでいない奉仕活動に費やさねばなりません。コレが葛藤その2。さらにそこでポンコツ老レースカーにコテンパンにやりこめられ、プライドを傷つけられていつか見返してやると闘志を燃やします。これが葛藤その3。これら複数の葛藤が、ドラマの展開につれて次第に解きほぐされ、新しい友情の誕生や、信頼の獲得や、逆転の勝利へと昇華されて解消し、観客はスッキリすると共に感動を覚える、という仕掛けになっているのでした。


『プレーンズ』はそこが決定的に弱い。若者が引退した老人に鍛えられてレースで勝つ、というドラマの大枠は『カーズ』とよく似ているものの、『カーズ』における両者の関係が「生意気な若者と老練のベテランの対立」という関係性から、度重なる衝突を経て互いに認め合い、葛藤を解消して最後には無二の信頼関係を結ぶ、という展開に至る重厚さにくらべ、『プレーンズ』においては二人の関係性が単なる生徒と先生の域を出ず、用意されている両者の衝突も師匠の経歴詐称をめぐるものでレースという主たるストーリーにあまり関係していません。なんでえこのジジイ偉そうな口をきいといて実は…という展開に主人公のダスティ君はおろか観客まで失望します。そこから師匠の名誉をいかに回復するかがドラマの見せ所ではあるのですが、この映画はそこに至る過程をすっ飛ばしていきなり師匠にええカッコをさせ強引に葛藤を解消しようとします。が、観客としては唐突に過ぎていまひとつわだかまりが解けない。というかそれだけでいいの?とすら思う。よってスッキリしない。


主人公は最初に訓練を積んで初めてのレースに挑みますが、それ以降は特に努力とか根性とかの結果で成長を感じさせることもなくレースに順応していきます。途中二度ほど大きく性能を伸ばす場面があるものの、一度目は農薬散布用のタンクを外して身軽になったことによるものでそんなもん最初からはずしとかんかい!二度目は友人たちが彼の人柄に惚れ込んで凄いパーツを一杯貸してくれたよ!という大変他力本願なもので、まあ善根を施しておけばそれは廻り廻って自分に帰ってくるものですよ的なドラマ性はありますが、ある逆境を乗り越えたとするには安易な感じは否めず、葛藤の解消としてはかなり苦しい。


物語のテーマとして「人は定められた役割以上のことができる。与えられた仕事に縛られなくてもいいんだ」というものがあり、それ自体は良いとしてもこのテーマを劇中人物がハッキリと台詞として言ってしまう時点で、それは脚本の敗北だと思います。台詞としてハッキリ言わせるのではなく、主人公の心意気や頑張りや逆境を乗り越える様をしっかりと見せることで、それを言外のうちに感じさせるのが優れた物語ではないのか。それができていないから、やむなく台詞で説明せざるを得ないのではないのか。


というわけで物語としては面白みがなく、予定調和的にダスティ君はレースに優勝してメデタシメデタシで映画は幕となるのでした。いかにもディズニー的なコメディリリーフや悪役はいたものの、魅力に薄く、ヒロインに至ってはむしろいなくても良かったよねというレベルで大変残念な感じ。子供もそんな状態を感じ取ったのか、開始後30分で「もう帰りたい」と言い放って保護者としては大変トホホでございました。ただ、細かいストーリーはさておき一個一個の場面は迫力たっぷりにできており、途中出てくる第二次大戦の回想シーンはオオッと思う壮絶なものがあって、そういう面では子供も一応満足していたようではあります。が、やっぱりこの話の引っかかりのなさはちょっとないわ。というわけで以上よろしくお願い致します。



カーズ [Blu-ray]

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シンプルゆえに力強い『ゼロ・グラビティ』(ややネタバレ気味)

ゼロ・グラビティ 国内盤
監督:アルフォンソ・キュアロン。主演:サンドラ・ブロックジョージ・クルーニー。不慮の事故で宇宙空間に投げ出された二人の宇宙飛行士…彼らは無事生還できるのか?とストーリーをまとめたら一行で終わってしまった。何というシンプルさ。しかしたったこれだけの内容ながら、映画は90分間全くダレない濃密なジェットコースターの様相を呈し、映像的にも映画史に残るイノベーションを実現して、なおかつ結末ではドドーンとソウルに来る感動がという大三元映画。


まず大三元の「白」であるところのジェットコースター要素。サンドラ・ブロックジョージ・クルーニーの二人がシャトルでの船外活動中、銃弾のように襲ってくる大量のスペースデブリに遭遇し、シャトルが大破して宇宙空間に投げ出されるところが発端です。もうこのシチュエーションからして人生終わった。詰んだ。グッバイ地球。グッバイ酸素。この状況からどうやって生き残るのか、考えただけでも既に無理ゲーですがこのへんの絶望感は予告編映像を観たほうがおわかりいただけるかと。



どうすんのこれ。いやまあここで二人が投げ出されっぱなしだと映画は自動的にエンドになってしまうのでこのあと気合でなんとかしてしまう訳ですが、窮地を乗り切ったらまた窮地、ピンチにつぐピンチで観客が退屈するヒマ一個もなし。かといってむやみにドッカンドッカン爆発が続いたりアクションが続くというわけでもなく、じわじわと張り詰めた感じが次第に緊張の度合いを増して、それが突然暴力的な破局に至る、という緩急の付け方が実に巧妙です。後述しますがこの映画は極端な長回し映像が多用されており、カットの切れ間がないまま場面が持続することで息苦しいほどの緊張感が生まれています。その状態のまま成すすべもなく訪れる圧倒的な破壊のシーン。ゴミくずのように翻弄される人間。しかし人間の方も何とかして生き残りたいわけですが、そうは言ってもここは宇宙。酸素が切れたら死。命綱が切れたら死。デブリ(金属片とかが音速で飛んできます)が当たったらただちに死。宇宙服が破れたら死。しかも重力と空気抵抗が無いもんですから、慣性の法則が無制限に働いて自由に動くことすらままならない。という過酷すぎる状況でのサバイバルですから観てる方のハラハラも半端ないわけです。


続きまして大三元の「発」である映像面。ポイントは3Dにおける臨場感と、驚異の長回しです。臨場感については、特にIMAX 3Dで観た場合、自分も宇宙空間に浮いているかのような浮遊感が味わえ、こちらに飛んでくるデブリの表現に思わず目を閉じちゃったり身をかわしちゃったりします。この浮遊感がほぼ全編を通して維持される状態で、なおかつ尋常じゃない長さの長回しが敢行されて膀胱がプルプルします。特に冒頭の十数分、穏やかな船外作業の状態から、デブリが来襲してシャトルが木っ端微塵に破壊され、サンドラ・ブロックが投げ出されてくるくる回転しながら宇宙の果てに向かって飛んで行く、この一連のシーン(上掲の動画参照のこと)があまりにも凄い。こうやって書き連ねただけでもミラクルな感じがしますが、長回しの間カメラは縦横無尽に動くだけでなく、客観の視点からサンドラ・ブロックの主観にスムーズに移行し、また自然に客観に戻るといったアクロバットを繰り返します。なんとカメラが宇宙服のヘルメットを平気で通り抜けるんですから凄い。もうどうやって撮ったの?とか聞くのもムダな気がするレベル。


映像の質感も判ってるなオマエ!という感じで、むかしのアポロ計画の記録映像みたいな、光と影が明確なコントラストを描く質感をバッチリ再現しており、往年の宇宙開発の雰囲気をバッチリ再現しつつ、デブリのいっこいっこまでがバッチリ見える高解像度。この鮮明な映像でシャトルやら何やらがバラッバラに破壊されていくのを全くごまかしなく見せてしまう。もう観ていてアニメーターの労力とか予算とかマンパワーとか人月とか工程管理とかそういうところにも気が回ってしまい別の意味でも気が遠くなります。すげえ。


この映画の凄いところは、このようなビックリ見世物映像が炸裂しているにもかかわらず、内容が感動的であるということで、いわば最後の「中」がポンできて大三元が確定しちゃったというか、実際に麻雀で白と発をポンしたらだれも中を切らなくてまず上がれないのと同様これはまことに稀有なことです。ここでシンプルな物語が生きてきます。生命維持を全く許さない宇宙空間で、生き残ることを希求する。このシンプルな行動が、シンプルすぎるが故に哲学的なところにまで斬り込んでいます。こういう環境下でなぜなおも生きようとするのか。なぜそれが観ている我々に感動を呼び起こすのか。それを考える事自体が取りも直さず哲学そのものです。そして、映画の方も観客にそれをさせるべく周到にディティールを仕込んできます。あまり細かくは書けませんが、あるところで突然流れてくる赤ん坊の声!ここで人間の源泉、人間の素晴らしさを思い起こさせるこの声を入れてくる脚本の巧妙さが凄い。この時の状況とこの後の展開を考えれば、コレ以上の選択肢はないと思われる黄金の一手と言えます。


登場人物がごく少なく、しかも顔を出して演技しているのがサンドラ・ブロックジョージ・クルーニーの二人だけというきわめてソリッドな映画です。サンドラ・ブロックの方は追い込まれて幾度と無く絶望しかけますが、それを乗り越えて生存に向かっていく様をほぼ一人芝居に近い形できっちり演じており、その説得力が映画の感動に深く寄与しています。正直サンドラ・ブロックをイイと思ったのはこれが初めて。ジョージ・クルーニーはベテラン船長の役どころですが、しじゅう軽口が止まらないという実際にいたら面倒臭そうな役柄ながら、いざというときの沈着冷静っぷり、落ち着きと行動力、頼りになる感じが素晴らしく、途中2度ほどこの人がサンドラ・ブロックの命を救う描写がありますが、それがいずれも「いよっ!ジョージちゃん!」と大向こうから声を掛けたくなる男前っぷりで、なんというかもうこの人にだったら正直抱かれてもいいと思った。


このようにシンプルでありつつも、それがシンプルであるために根源的で、それゆえに感動的で、なおかつそうあらしめるための演出、演技がこの上なく力強い。なおかつ映像が驚異的で、あまつさえ面白すぎる、という稀有な役満映画でした。観るなら絶対3Dで!可能ならIMAXで!

真の恐怖映像『この子の七つのお祝いに』(ネタバレ有り)

あの頃映画 「この子の七つのお祝いに」 [DVD]
監督:増村保造。出演:岩下志麻根津甚八岸田今日子杉浦直樹いやーこれはマジで怖いもん観ちまったぜ!こんなん観たらもう布団かぶって寝るしか…。ルポライターの杉浦直樹は、怪しげな手相占いで政界を裏から操ると言われる謎の女「青蛾」の謎を追っておりましたが、情報提供者が惨殺されたため「これは久々にデカいヤマにぶち当たったか?」と大ハッスル。後輩の根津甚八を巻き込んだり、バーのママの岩下志麻とねんごろになったりしながら事件の核心に迫っていきますが、真相にぶち当たった直後に変死。根津は杉浦の仇を討つべく調査を引き継ぐものの、浮かび上がって来たのはなんと岩下ママでマジっすか。というお話。


原作は斎藤澪の第一回横溝正史賞受賞作で、出版当時は映画化の話題もあって随分評判になってた気がします。童謡を引用したタイトル、ビジュアルのキーイメージが日本人形、と日本的なオドロオドロしさがスパークしており、角川書店金田一耕助シリーズ終了後の後釜を創ろうとしていたのが判りますが、うまくいきませんでした。まあミステリーとしては岩下志麻が最初から犯人にしか見えないのはどうなのかとか、余りにも救いのない真相と結末とか、金田一シリーズのようなユーモア味もなくて実に潤いがないとか、いろいろ理由はありそうなのですが、一番の原因は「ガチで怖すぎた」というところではないかと。


ここから先はネタバレますが、いやー何が怖いって岩下志麻の母役の岸田今日子ですよ!この話は夫に捨てられた岸田今日子が、その恨みを娘の岩下志麻に子供の頃から吹き込みつづけ、長じた岩下が父への復讐のために邪魔する人間をザックザック殺してゆくというものなのですが、その回想シーンでの岸田今日子があまりにもガチ。夫が自分から離れそうになり、夜中に暗がりで「殺してやる…」とぶつぶつ言いながら豆腐や大根にみっしり縫い針を突き刺すサイコ今日子。夫が隠れて他の女に会っているのを「知ってるのよ…」と病んだ眼でクスクス笑うストーカー今日子。娘に父親への憎しみを刷り込むため、本当は金を持っているくせに貧乏のフリをして娘を飢えさせる虐待今日子。夜な夜な寝物語として娘に父への恨み事を聞かせ、話が佳境に入ると発作的に針で父の写真の顔のところをププププププと針で突く今日子地獄突き。最終的に娘の布団の中で手首を切りトラウマを完成させて果てる今日子メガンテなど、各種取り揃えたスキのないフォーメーションで迫り来る今日子の恐怖!五十路とはいえまだまだ女の色気が残っている頃の岸田今日子が、艶然というか、妖艶というか、妖怪というか、そういうノリでネッチョリと演じており、その恐ろしさは筆舌に尽くしがたい。あまたのトラウマ映像が束になってもかなわない、真の恐怖映像ここにありです。


さらに、娘の岩下志麻もそのような英才教育のたまもので鉄壁のメンヘラに育ち、残っていた正気も脳裏に蘇る母の声でかき消されズンバラズンバラ人を殺すのでした。正気を失って「おかーさーん!」と極妻ボイスで叫びながら刃物をふるう姿は余りにも恐ろしい。さらに最後、すべて自分は母の妄執に動かされていたことを悟った岩下はドスの効いたボイスで「この子の七つのお祝いにぃ〜…暗いよ、さむいよ、おかーさーん!」と歌いながら壊れきるのでしたが、これがまたつい目を背けたくなるいたたまれなさで観客の心象風景はお通夜です。語り草なのが事件の手がかりとして出てくるセーラー服姿の岩下志麻の写真ですが、こんなイメクラみたいな高校生がおるか!同様にこの時既に五十路を超えていた岸田今日子がピチピチ若妻の役を物の怪のように演じているのも怖い。この二大女優の面妖演技があの増村保造のコッテコテやりすぎ演出でブーストされ、下手なスプラッターよりも激しい血しぶきとか、役者の息止めがつらそうな血まみれ死体の長写しとか、血のように真っ赤な夕焼けの部屋で不気味に佇む日本人形とか、この時期の日本映画としてもかなりどうかしてる感じにあふれています。長らく忘れられていた映画ですが、この怖さはひょっとしてこれからカルト化するんじゃないのか。今後の再評価に期待したいところです。