カジノロワイヤルの手帖

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ヌルリとした不気味さ『脱出』

ジョン・ブアマン監督 脱出 特別版 [DVD]
監督:ジョン・ブアマン。出演:ジョン・ヴォイトバート・レイノルズ。アメリカのとある山奥に川下りを楽しみに来た都会の男たち。ジョン・ヴォイトのび太)、バート・レイノルズジャイアン)、ロニー・コックス(スネ夫)、ネッド・ビーティー(デブ)の四人は、「来年にはここもダムの底だぜ」と消え行く自然を惜しみながらのんびりカヌーで川下りを堪能します。しかし行く手に待ち構える自然はたいそう厳しく、容赦なく彼らに牙を向けるのでした。彼らは果たして無事にここから「脱出」できるのか…。


と書くと、自然に挑む人間を描いた胸踊る冒険譚のようですが、この映画の問題は「自然」の中に、その土地に住んでいる現地の皆様を含めている点で…。もちろん滝とか崖とか、そういう自然も障害として立ちふさがってくるわけですが、それと同列か、むしろ更に恐ろしい存在として地元のみなさんを描いておられるという、アメリカのダークサイドを鋭くえぐったいろんな意味でのガクブル作品です。この地元の方々ですが、山奥なのをいいことに法とかモラルとかをブッチしまくったエクストリーム狼藉をがんがん働いてこられ、特にネッド・ビーティー(デブ)が山中で地元のならず者にショットガンを突きつけられ、ブリーフ一丁に剥かれて豚の鳴きまねをさせられながらカマを掘られるシーンが全方位的に恐ろしく、このような常識の通用しない連中と山中深くで出会うことがいかに恐ろしいかを直球で描いております。この部分はその狂気と不条理さゆえにトラウマ場面として特に名高く、ちょっと前にアメリカで編まれた「映画史上最も恐ろしいシーン100選」でも堂々の37位に選出。ネッド・ビーティーはこの映画が実質デビュー作なわけですが、いきなりこういう役どころというのは気の毒というかドンマイというか、掛ける言葉がナッシングです。その後のキャリアが順調なのが何よりでした。


この映画は「自然と人間」の対立と見せかけて、実は「自然と文明」との対立を描いています。文明は人間の創りだした物、自然はそれ以外の物、という線引きで、人間自体はその生まれ育った環境次第でいずれにも属しうる、という観点です。主人公4人組はバリバリの都会育ちで文明の申し子であり、社会規範と法に則ってふるまっている一方、土地のならず者たちは自然に親しんでいる反面、法意識も倫理もキャバクラの水割りのように希薄です。都会人が田舎というアウェーに乗り込んだ時、そこで待っている洗礼は、自然の猛威であり、文明から遊離している人達の暴虐である、という田舎の暗部をこの映画は容赦なく描いてきます。アメリカの田舎ちょうこわーい。


しかし文明人である主人公たちも、ならず者たちの暴力に暴力で対抗しているうちに無我夢中となり、次第に自分たちを律しているはずの法から逸脱していきます。4人の中でのび太的なポジションにいたジョン・ヴォイトが結果的に一番暴力的になってゆくのがまた怖い。都会人が文明から離れたとき、そこにむき出しになるのはやはり自然としての人間であり、生存本能の強い動物であり、ひとことで言うとそれは「野生」に他ならないのでした。しかし川を下ってゆくにつれて、景色には文明の気配が戻り、彼らは大自然の真ん中からきちっと法が機能している文明地帯に戻されてゆきます。ここで、いったん野生を大開放して法を破ってしまった者たちが、再び法の網の下へ戻ってゆく時の気まずさがたっぷりと描かれ、スッキリしない結末も相まって猛烈に居心地の悪い余韻を残すのでした。


テクニカラーのこってりした色調で描かれる自然の美しさと、そこで行われる暴力行為のえげつなさ。文明人が野生に戻って倫理から逸脱し、また文明に戻ってきたときに、果たしてその人は以前のようにぐっすりと眠れるだろうか、という決して割り切れない問い。これらが相まって、なんとも言えないヌルリとした不気味な雰囲気を醸し出しております。雄大で美しい大自然が舞台の映画でありながら、これだけ「気持ちの悪い」映画は珍しいんじゃないかと。なんと1972年アカデミー作品賞、監督賞ノミネート。うへえ。