カジノロワイヤルの手帖

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炎上

炎上 [DVD]
録画物をチェック。妻で脚本家の和田夏十と組んで映画史に残る傑作をビスバス連発していた頃の市川崑の作品。原作は言わずと知れた三島由紀夫の「金閣寺」。小説のほうは3行読むと意識がなくなるという難解な文章に苦戦しつつも、一人の屈折した人間の内面を精密に分析する内容に圧倒された記憶があります。
で、映画の方ですが、こちらも面白かったですよ。市川雷蔵吃音に劣等感をもつ内向的な青年を剣戟スタアとは思えないフツーさで完璧に演じてます。すげえな雷蔵。ついでにいうと主人公の母を演じた北林谷栄はほぼ30年の年月の開きがあるにもかかわらず『大誘拐』のころとイメージが全然変わってなくて凄い。この人は昔から老け役専門だったんだなあ。
原作の方は主人公の金閣の美に対する幻想が嵩じて「金閣をオレだけのものに!」みたいなパラノイア放火だったと記憶してますが、映画のほうは焦点を変えて、自分は世間になじめない。なんでだ。というか世間にその価値があるのか。ないのと違うか。ええいもう知らんわ!きいー!と絶望した末の自殺に近い放火、みたいになってます。
このあたり、文献をあさると実際に和田夏十市川崑も悩んだようで、そんな金閣への美の幻想なんて映画にできんよ。どうしよう。と考え抜いた答えが、貧しい田舎の寺における父と母と子の重苦しい関係に焦点をおき、そこから一人の青年の苦悩を追ってみる、という視点だったといいます。なのでこの映画における金閣の位置づけはそんなに重要ではありません。映画では驟閣(しゅうかく)と名称が変わってます。これは実際に金閣サイドから「金閣の名前の使用はまかりならん」とのクレームもあったらしいのですが、あえて金閣である必要もなかったのでしょう。だからタイトルもあえて「金閣寺」ではなく『炎上』になっていて、こちらの方がこの映画の内容に沿ったものになっています。驟閣を焼くのは美しさ云々ではなく、父が愛し、自分が愛した物が、俗物的な母や世間に汚されるのに我慢がならないという、コンプレックスのどん詰まりに追いつめられた故の選択だった、ということでしょうか。よく判りませんがそんな気がしないでもない。しないでもないですがよく判りません。ただ、あっけ無さ過ぎるラストも含め、映画は最後まで常に張りつめた雰囲気を保っていました。やはり全盛期の市川崑はあなどれない。『野火』とか『破戒』が急に観たくなったであります。