カジノロワイヤルの手帖

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昭和のドラッグ映像『影の車』(1970)※ネタバレあり

影の車

 大事なことなので「松本清張」と二回書いてあるDVDジャケ

 

 

原作:松本清張。監督:野村芳太郎。主演:加藤剛岩下志麻。旅行会社勤務の加藤剛は仲の冷え切った妻(小川真由美)との生活に虚しさを感じていましたが、ある日通勤バスのなかで同郷の岩下志麻と再会します。岩下は小学生の一人息子を抱えた後家さんで、会話を重ねるうちに二人の仲はたちまち急接近。とうとう不倫の関係となってしまいます。愛人とのたまさかの二重生活を満喫する加藤剛ですが、気になるのは岩下の連れ子。この子がどうしても自分に懐かず、それどころかほんのり敵意すら匂わせてきます。やがてそれは次第にエスカレート。6歳の子供にネコイラズいりのまんじゅうを出されたり、ガスの充満する部屋に閉じ込められたりと、連発するヒヤリハット事例に次第に追い詰められていく加藤。妻とは別れるからしばらく待ってほしい。あら嬉しいわたし待つわ何年でも。とひとしきり盛り上がった夜の翌朝、目覚めた加藤は目の前に連れ子が斧をもって立ち尽くしているのを見つけ、ヒッ殺される!と逆上。ついに連れ子の首をぐいぐい締め上げるのでした。逮捕され、事の次第を説明し正当防衛を訴えても「6歳の子供が殺意なんてもってるわけないだろ!」と取り合ってもらえず、逆にとんでもない野郎だこの卑劣漢めと罵られる始末。しかし加藤には「年端も行かぬ子供にだって殺意はあるんだ…!」という奇妙な確信がありました。その理由とは…。

 


これ、小学生の頃でしたか、日曜の午後のテレビでほぼ全編観たのを覚えています。よっぽどインパクトがあったんでしょうねえ、つい最近Huluで観返してみましたが内容も場面もかなり正確に覚えていましたよ。不倫がテーマだけあって、夜中に寝付いた連れ子の横で加藤と岩下がはっすはっすと絡み合うシーンが連発され、当時の自分としては何かこうものすごくインビなものをみている気がしましたね。うわー。なにやってるかよくわかんないけどなんかヤラシイ。そのとき確実に母親が一緒だったはずなんですがよくこんなん小学生に観せてたな。そもそもなんでこんなの日曜の昼間っからやってんすか。いやー昭和はいろいろとざっくりしてました。エイジ・オブ・雑。

 


しかし大人になった今観返すと…なんだか居心地が悪いというか、猛烈にいたたまれない映画でしたね。なんと言っても不倫の映画ですから、ラストは三方丸く収まってみなニッコリ、なんて結末になろうはずもなく、逆に誰一人幸せにならない地獄への階段をじわじわ降りていくような内容です。最初は「あたし一生このままでもいいの、あなたとこうしていられるなら…」と殊勝な事を言っていた岩下志麻も次第に「一緒になりたいわ…」と着実に外堀を埋めてきますし、別れたいと思っていた妻(しかも小川真由美ですぜ)も急に「子供がほしいの…」としんみり言い始めるので観ているこっちの肝は冷えっぱなしです。そんな薄氷を踏むような不倫生活に、得体のしれない殺意をトッピングしてくるのが岩下の連れ子なわけですね。

 


はたして連れ子に明確な殺意があったのか無かったのか?どちらにでも取れるような語り口なのがミソ。ネズミの死体(本物)をぶんぶん振り回したり、ネコイラズを吐き出す加藤の姿を冷徹に見つめる連れ子の姿はうっすらと不気味。この子役がまた常時仏頂面でまあ絶妙に可愛くない。何を考えているか全くわかりません。その反面、連れ子から感じられる殺意はすべて加藤の妄想で、もしかしたら単なる偶然と思い込みの産物かもしれない、という含みも残してあります。

 


いずれにせよ、加藤はなぜ子供に手をかけるほど精神的に追い詰められたのか、という所がこの映画のキモです。それを物語るのが加藤の子供時代を描いた回想シーン。自分の子供時代の経験が、妄想に形を変えて大人になった自分を追い詰めてくるという因果応報を暗黙のうちに語ります。この回想シーンがまた凝っていて、ギラついたコントラストと狂った色調、荒れまくった粒子で、ダビングを重ねた裏ビデオみたいな画質になっており、思い出は遠い昔の美しい宝石にあらず、ただ過ぎ去った己の所業なり、ということを視覚に訴えかけてくるのでした。この効果の合成のために膨大な時間とフィルムを使ったということですから作り手もただの回想シーンにしたくはなかったのでしょう。当時としてはものすごくドラッギーな、悪夢のような質感です。

 

 

 まだまだ平和な冒頭シーン(Youtubeサイトでご覧ください)

 


ラストはこの凝り凝りの映像でギョッとするような真相が描かれますが、凄惨なはずの光景が異様に美しく、その落差が強烈なインパクトを生み出しています。芥川也寸志の音楽も今だ、今しかないという勢いで盛り上がるなど。終盤、加藤が逮捕されたためオロオロ錯乱する岩下志麻の演技も必見。これほどアラレもなく取り乱す岩下志麻を果たしてあなたは観たことがあるでしょうか!後年の肝の座った演技からは想像もつきませんが、やりすぎになるかならないかの境界をギリギリ攻めてくるオロオロ感がアツい。加藤剛も往年の大岡越前感を打ち捨てるような小物っぷりで、たいそう端正な顔面にもかかわらず、妻からも愛人からも「ほほ…あなた気が小さいから」と半笑いで言い捨てられる残念さを、スクエアなメガネ着用で手堅く演じています。そのような真面目な顔をしていながら不倫など言語道断、とお白州で大岡越前も説教でしょう。

 


なぜ加藤剛は連れ子の殺意を信じて疑わなかったのか?それは当の加藤自身が幼少の頃、自分の母親と関係を持っていた「おじさん」を事故に見せかけて殺害していたからでした、という衝撃の真相。その過去の罪が今、妄想に形を変え、自らを破滅の淵に追いやったという皮肉。そしてその過去を悪夢のように描き出すビデオドラッグのような映像。静かに破滅へ向かうストーリーとあまりに苦い後味。観た者にもれなく呪いをかけてくるトラウマ度の高い映画だと言えましょう。

 

 

 

心の闇に呑み込まれる恐怖『ザ・バニシング -消失-』(1988)※結末ネタバレなし

ザ・バニシング-消失- [DVD]

 

 

 

監督:ジョルジュ・シュルイツァー。主演:ジーン・ベルヴォーツ、ベルナール・ピエール・ドナデュー。オランダから南フランスへ休暇を楽しみに来た若いカップル。高速のサービスエリアでもっちゃもっちゃと幸せな時間を過ごし、さて行きますか、あちょっと飲み物買ってくるわ、と売店に行く彼女の方。彼氏の方は戻りを待ちますが、いつまで経っても帰ってこん。何事ぞ。と不安にかられ必死で彼女を探す彼氏。しかし結果は虚しくついに彼女は失踪という事になってしまいます。その後3年間捜索を続けるも手がかりはなく、彼氏はテレビに出演して情報を求めたりしますが、来るのは冷やかしの手紙ばかり。しかしある日「彼女の行方を知ってる。というか私が誘拐した」という男が現れます。彼氏はその男の真意を怪しみながらも、あの日彼女の身に何が起こったのか、その真相にたどり着くべく、男の車に乗り込むのですが…。

 

 

 

このパッとしないとっつあんが大変なことを

 

 

この映画、知る人ぞ知る幻の傑作と言われており、私も20年ほど前に「カルト映画館/ホラー編」(永田よしのり編/現代教養文庫)という本にて鷲巣義明氏による熱のこもった紹介でその存在を知ったのですが、その時点で日本未公開、ビデオもDVDも未発売。かろうじてハリウッド版リメイク『失踪/妄想は究極の凶器』が公開されソフト化されているのみという状況で、いったいどうやれば観られるのか!と長年もんもんしていたのです。ところが今春になって突然本邦で公開される運びに。なぜ一体いま?どういう意図で?よく判りませんがこうしてめでたく鑑賞できた訳で、配給会社さまにはデコを床に打ち付ける勢いで御礼を申し上げたい。

 

 

カルト映画館 ホラー (現代教養文庫)

他にも「SF」「ミステリー&サスペンス」「アクション」といったシリーズが

 

 

1988年の制作ですからもう30年以上前の映画なわけですが、サイコ・サスペンスという言葉が一般に広まる前の映画でありながら、狂った人間が冷徹に犯罪を行う様子を粛々と描写する、というその筋の先駆者みたいなことをやっております。あの『羊たちの沈黙』に先んじること3年。かなり早いです。

 

 

※ここから先は、一応ネタバレは避けますが、話の展開には触れます。

 

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チャラそうでチャラくない、少しチャラい『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977)

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 意外に真似できないこの腰の入れ方

 

 

監督:ジョン・バダム。主演:ジョン・トラボルタ。NYの下町ブルックリンでペンキ屋勤めに精を出すトニーちゃん(ジョン・トラボルタ)。給料は安く親は固く彼女はおらぬ、というまことにボンクラな生活を送っています。ボンクラの証のごとく部屋にはブルース・リーのポスターも。しかし土曜の夜だけは髪とファッションをビシッと決め、ボンクラ友達と地元のディスコに繰り出し、得意のダンスでフロアのスターになっていたのでした。しかしそこで見かけたダンス上手な美女ステファニー。ひと目で参ってしまったトニーちゃんはこれまでの相方アネットちゃんを捨て、来るダンス大会に向けて猛烈なアタックを開始します。しかしステファニーは川向うのシャレオツ世界マンハッタンの住人。住む世界がまるで違うので会話もしぼんだゴム毬のように弾みません。しかしそこは格差を熱意でカバーし、ついに彼女を口説き落としてパートナーに迎えることに成功。ダンス大会の優勝をめざすトニーちゃんでしたが…。

 

 

ポスターのあのポーズはもうひとつのイコンと化していて、映画は観たことなくても「フィーバー」と聞けばあのギラギラのミラーボールにでかい襟のトラボルタ、そして腰の入った指差しポーズがビー・ジーズの「ステイン・アライブ」とともに脳内再生余裕という人は多いでしょう。華やかなりしディスコの時代。盛り場。風俗。軽薄。チャラい。というような連想が湧いてしまうのも無理からぬと言えます。特にこの映画のディスコは下町の有名店ということもあって絶妙に垢抜けてない濃厚な場末感。ダンスフロアの隣のバーではトップレスのチャンネーがやる気なくクネクネしているという有様で、つい画面に現場をレポートする山本晋也を探してしまいます。炸裂するトゥナイト感。

 

 

このように、題材も舞台も盛り場特有のチャラさにあふれているわけですが、意外にも映画自体はチャラくなく、トニーちゃんが人との出会いを通じて自分の至らなさを認め、成長しようとする姿をクソ真面目に描いているのでした。トニーちゃん自身も、本当のところは家族を愛し、職場でも愛され、給料もちゃんと実家に入れ、アネットちゃんとの初Hに及んでは避妊具がないことが判ると寸止めもできる、というにわかには信じ難いレベルのよいこです。このトニーが、自分とは全く違う世界に住む人間と触れ合って、自分の未熟さ、井の中の蛙さをだんだんと思い知らされていきます。

 

 


この大都会でなんとか生き残ってるんだ、という趣旨の主題歌

 

 

ダンス大会では自分の力を出し切り、高嶺の花だったステファニーちゃんと急接近したのも束の間、全然知らないプエルトリコカップルのダンスが自分よりはるかに凄くて打ちのめされ、にもかかわらず大会はホーム判定で自分の優勝。納得できないトニーは賞金を無理やりプエルトリコ人に渡し、怒った勢いでステファニーにも強引に迫ったあげく振られてしまいます。あーあ。

 

 

その後、いつものボンクラ友達と車を乗り回し、後部座席では自分に片思いしているアネットちゃんがヤケを起こした果に友達に処女を捧げてたり、うっかりカノジョを孕ませてしまった奴が「おれまだ結婚したくねえよう」などと泣き言を言っていたり、たどり着いたブルックリン橋で悪ふざけしているうちにそいつが橋から落ちて死んでしまったり、と若者特有のどーしよーもないチャラさが高濃度で炸裂。己と環境のダメさを思い知ったトニーちゃんは失意のまま地下鉄を放浪。自分が狭い世界しか知らなかったことに気づき、マンハッタンに出て独り立ちすることを決意するのでした。

 

 

どってことない話とも言えますが、トニーちゃんがボンクラながら心根の優しい超よいこであるのがこの映画の美点で、ボンクラであったのも視野の狭さや周囲の友人の影響のせいであり、そこから抜け出すべく決意するいう一つのささやかな成長物語であるのが好ましいですね。チャラいイメージとは裏腹に、市井の若者の地味な人生と、格差を決定づけている環境が描かれ、最後は主人公の失意で終わるという意外にもビターな映画でした。このへんアメリカン・ニューシネマの残り香がちょっと漂ってます。ただ、最後にそこから立ち上がり、前向きな希望を見せるのが来たる80年代へ向けての助走のようですね。

 

 

サタデー・ナイト・フィーバー40周年記念盤-オリジナル・ムービー・サウンドトラック-(Blu-ray Disc付)

バカ売れしたサントラ

 

 

個人的に印象深いのが、ジャイ子的なポジションで最後まで辛い目に会い続けるガールフレンドのアネットちゃん。顔は可愛いのですが絶妙な垢抜けなさにダンサーとは思えぬぽっちゃり体型。大好きなトニーとのパートナーは解消され、彼を繋ぎ止めるべく処女を捧げようとしてもゴムの用意がなく寸止め。ヤケをおこして当てつけにトニーのボンクラ友に処女を捧げてしくしく泣いても当のトニーは上の空です。不器用で純情なキャラだけにこの行く末はつらい。世界報われないキャラ大賞下町娘部門でのランクインは確実です。幸あれ!

深読みし放題『イット・フォローズ』(2015)※ややネタバレあり

 

It Follows [DVD]

 

監督:デヴィッド・ロバート・ミッチェル。主演:マイカ・モンロー。大学生のジェイ(マイカ・モンロー)はイケてる彼氏との仲も順調ですが近頃彼の様子がちょっと変。なにかに怯えているような彼氏を心配しながらも、ある夜のデートの終わりに車の中で初セックスをキメます。事後の幸福な余韻もそこそこに、突如豹変してジェイに薬をかがせ拉致する彼氏。目覚めるとジェイは廃屋で椅子に縛り付けられており、そこで彼氏は「ほんとゴメン」と謝りながら、これから彼女の身に何が起こるかを駆け足で説明します。曰く「これから人の形をした何かが追ってくる。姿形は都度変わる。スピードは遅いが意外に頭を使ってくる。できるだけ早くほかの誰かとヤッて呪いを感染させろ。そうすれば助かる」という突然の説明にナニソレと突っ込む間も無く、遠くからゆらりと現れてひたひた迫ってくる全裸の女が…。

 

 

古くは『13日の金曜日』の昔より、若者が一山いくらで出てくるホラーのお約束として「助平なことに及んだ男女は必ず殺される」というのがありましたが今もあるのかなこれ。それを推し進めて「助平をしたこと自体が狙われるトリガーになってしまう」というアイディアを父に持ち、「呪いが感染し伝播していく」という『リング』以来のジャパニーズ・ホラーのプロトコルを母に持つ、という趣の新世代ホラーです。アメリカンなホラーというと無分別な若者が廃墟探検などのわんぱくを敢行したあげく何かに狙われぎゃいぎゃい騒ぎながら殺される、という脳裏にポップコーンが飛び交うようなけたたましいものを想像しますが、そこはそれ陰湿なジャパニーズ・ホラーからの影響を受けているだけあり、黒沢清もかくやのヒタヒタした不穏さに溢れているのが新鮮です。登場人物も無闇矢鱈にわめき散らさず、抑えた演技なのがまたリアルでよろしい。また全てを見せず語らず、観客の想像力に訴えかけ、解釈を委ねる語り口がまた奥ゆかしい。

 

 

 

 

呪いにかかった者は、正体不明の何かにゆっくりと追いかけられ、捕まれば無残に殺される運命にあります。その「何か」は見知らぬの姿のこともあれば、身内の姿のこともありますが、いずれにせよ何を考えているか分からない表情で一直線にホトホトと迫ってくる様子は恐怖の仕掛けとして新しい。一見なにもない風景の片隅に、こちらに向かって歩いてくる人影を見つけただけで観ているこっちはドキリとしますし、突然目の前に現れたときは全裸だったり失禁してたりとギョッとする見た目でさらにドキリの度が増します。舞台が郊外なのがまたミソで、遠景にポツリと現れる人影が効果的なのはひとけの少ない郊外ならではの風景だからなんですね。しかも追いかけられるのがそこに住む中流階級の、多感な時期の若者で、セックスという快楽を齧ったものにだけ罰のように「何か」が追ってくる、というあたり、「何か」がなんの暗喩かということを受け手に深読みさせる余地があって面白いのです。キリスト教的な倫理観に基づくセックスへの罪悪感とか他罰感の暗喩なのかな~とか(ただしこの解釈は制作者が否定しています。でも最初はそう考えるよね)。あるいはもっとシンプルに死の暗喩なのか、とか。「何か」の正体とか呪いの原因とかは一切解明されないので、そこはもう想像力をフル回転させてあれこれイマジンしていただきたいところ。

 

 

映画内世界に電書リーダーや携帯はあるのにスマホやPCや薄型テレビが出てこないとか、また主人公たちの戦いに大人が不自然なほどコミットしてこないなど、どこか現実世界とはズレた寓話的な世界が、デトロイトの閑静な郊外風景と、寂れきった都市部の廃墟風景が交錯する美しい映像で描かれ、映画全体を不気味な静けさと浮遊感に包みます。ときおり挟み込まれるドストエフスキーの「白痴」の朗読シーンなども、ホラー映画らしからぬアートフィルム感。かと思えばいきなり屋根の上にフリちんジジイが仁王立ちになっているなどの見世物感も忘れておりません。

 

 

「何か」が不気味さの割に意外と怪力で殴ってくる派だったり、逆にこちらの物理攻撃も効くので銃で撃つと止められるというあたりにアメリカ~ンな匂いがありますが、こういう新しい作風で怖い映画を作ってくるアメリカ映画の懐の深さをみましたね。なにより解釈を観客にゆだね、観た後もじっくり深読みができるような仕掛けや構成をとりつつ、ホラーとしてきっちり怖い、という重層的なトコがすごくいい。この監督の近作『アンダー・ザ・シルバーレイク』も面白そう。

 

 

てんこ盛りサービスなれど『パシフィック・リム:アップライジング』(ネタバレあり)

パシフィック・リム アップライジング

 

監督:スティーブン・S・デナイト。主演:ジョン・ボイエガ。主に本邦の中年男性の血を沸騰させ、公開と同時にカルトになってしまった前作「パシフィック・リム』からはや5年。5年か!ついおととしくらいの感覚ですが5年って。その間、監督のギレルモ・デル・トロが降板したり、制作会社のレジェンダリー・ピクチャーズが中国資本に買収されたり、デル・トロがオスカー獲ったりといろいろありましたが、とうとう公開にこぎつけてまずは慶賀のいたり。私も公開直後に4DXのチケットをゲッツして親子で劇場に駆けつけた次第です。ではつらつら感想。ネタバレしてますのでご注意を。

 

 

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