カジノロワイヤルの手帖

banの映画感想&小説漫画音楽路上日常雑感。

活魚感『テンタクルズ』(1977)

テンタクルズ 40周年特別版 [Blu-ray]

生頼範義先生!

 

 

監督:オリバー・ヘルマン。出演:ジョン・ヒューストン、ボー・ホプキンス、シェリー・ウィンタースヘンリー・フォンダアメリカのとある海辺の街。ここの海で不可解な変死が相次ぎます。死んだ者たちは内蔵や骨の髄を何やら強烈な力で吸い尽くされていたのです。事件を追うベテラン新聞記者のジョン・ヒューストンは最近このあたりで開発工事をしている企業が怪しいと睨み、そこの社長(ヘンリー・フォンダ)をしつこく追求して嫌がられる一方、海洋学者のボー・ホプキンスに調査の協力を依頼。学者は工事現場近くの海底で大量のマグロが逆立ちしたまま死んでいる現場を発見し、何らかの電波が海の生物を狂わせていると推理。実はその企業は法令に反して現場で異常な出力の電波を運用していたのでした。一方ボー・ホプキンスの奥さんやその家族は電波の影響で凶暴化した巨大なタコに襲われて全員死んでしまいます。悲しみにくれる彼は飼育しているシャチ2匹を連れてタコ討伐に出撃するのですが…。

 

 



 

いやあこれは思わず唸るトンチキでしたねえ。思い起こせば幼少の頃父が買っていた「スクリーン」誌で、海に浮かぶ女性の背後に巨大なタコの触手(テンタクルズ)が迫る、という不気味なスチールを目にして以来ずぅぅぅぅっと気になっていた映画でした。当時はあの『ジョーズ』に続く海洋パニック映画として鳴り物入りでの本邦公開だった模様。それもそのはずで『ジョーズ』の大ヒットを目の当たりにしたイタリア映画界がお得意の節操のなさを存分に発揮、またたく間にでっち上げて豪華キャストのネームバリューで世界中に売りまくった二匹目のドジョウならぬタコ映画なのでした。気になるあまり20年くらいまえにレンタルビデオで観ましたが、余りの詰まらなさに呆然とした覚えがあります。それを2020年の今になって突如BS-TBSが放映。しかも吹替版。いくらステイホームで皆が家にいるとは言え何故わざわざこの映画を選び放映するのか。何かヤケッぱちめいた意気込みを感じますがそれに応えて思わず私も録画予約をピピッと敢行です。

 

 

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いやこのカットなんですけどね

 

 

冒頭にも書いてますがキャストが妙に豪華。アカデミー賞級の俳優がずらりと揃っています。みんなお小遣いに困ってたのかな?これだけの名優を集めた上でその良さを活かさないというぜいたくな演出方針が光っています。ヘンリー・フォンダに至っては推定拘束時間半日くらいじゃないか。この手の映画の常連とも言えるシェリー・ウィンタースを確保したところは偉いですがおなじみ『ポセイドン・アドベンチャー』のような体を張った見せ場はなく、タコ大暴れのシーンでも終始陸地でオロオロしているだけという比類なき無駄遣いです。前半は因業な新聞記者を独特の悪人面で演じていたジョン・ヒューストンも、後半海上が舞台になるとまるで最初から居なかったかのように出番が消え、追求していた企業との戦いもウヤムヤに、というそんな面倒くさい話はもうどうでもいいでしょう、それよりタコ見なさいよタコ。という作り手の投げやりなまごころがビンビン伝わってきます。

 

 

そのタコですが、水面に目のところだけ出して直線の動きで突進してくるシーンが繰り返し繰り返し出てくる以外は、ほとんど本物のタコを船の模型とたわむれさせているだけ、という正直さで、そりゃまあ欧米の皆様は普段タコの生態などお目にされておられぬかも知れませんが、こちとら魚河岸や市場で日頃から生きたタコには親しんでいるのでどうしても活魚感を否定できず、つい「おっ活きがいいな」などと思ってしまいます。作り手も一応巨大感の無さをなんとかしようとしたのでしょう、海中シーンはひたすら画面が暗くてよく見えない方式という思い切ったソリューションです。かつてVHSで見たときは何が起こっているか全くわかりませんでしたが、今は技術の進歩によりご家庭でも明るいHD映像で観ることができ、タコのスケール感を忠実に感じ取れます。痛し痒しです。

 

 

ボー・ホプキンスは日頃から可愛がっている2匹のシャチを引き連れてタコ討伐へ。心が通じ合っているシャチに「おれの女房もやられた」「あいつを殺せるのはお前らしか」「たのむ」と直球でお願いしますが、タコにケージを壊されて外海に出たシャチ君らはテンション高まったのか「わー」とどこかへ行ってしまいました。どうすんのこれ。と思っているうちにタコ様が襲来。海に潜ったボー・ホプキンスとその弟子はタコに襲われたはずみで崩れてきた珊瑚の下敷きになり動けなくなってしまいます。いやこれ、マジでロケ地の珊瑚をバリバリ破壊してないか…?大丈夫か…と意図しないところで手に握る汗。

 

 

そこへ襲いかかってくるタコ様。画質が明るいのでのたくる活魚感を存分に味わえます。あやうし!と思っているところに突然アベンジャーズのごとくシャチ君ズが登場!巨大タコを右から左からモリモリかじります。左右からシャチのプロップに噛みつかれてのたうち回るタコの迫真の演技は必見。最後は8本ある足の2本くらいをかじり取られてズルズルと海に沈んでいくのでした。なお、このタコはあとでスタッフが美味しくいただきました、というようなことはないんだろうなあ、やはり。

 

 

全体的に、巨大に見えないタコ、盛り上がらない演出、ちっとも面白みのないストーリー、なのに商売っ気はたっぷり、など、援護したくなる要素が皆無という業の深い映画でした。そんななか特筆したいのは微妙に浮かれた音楽。緊迫するタコ襲撃の場面でもなんとなく小洒落たディスコ調でただでさえ盛り上がらない映画を亜空間にいざないます。この雰囲気の合ってなさはある意味すごい。1977年当時はこういうのもアリだったのでしょうか。昔はカオスでした。

 

 

ファッションショーみたいなオシャレ感

 

 

吹替版の放送だったんですが、78年のテレビ放送時の音声そのままらしく、昔の洋画劇場の雰囲気が味わえてこの部分だけは思わぬ拾い物でしたねえ。アドリブの効き方なんかは当時ならではの味です。途中のパレードのシーンで現地のスタンダップコメディアンがつまらないアメリカンジョークをくどくどくどくど喋り倒すタルいシーンがあるんですが、その吹き替えの声とアドリブの入れ方になにか聞き覚えがある。これ愛川欽也じゃないのか。いや間違いない。キンキンだろ。こういうおもわぬ掘り出し物があるのは楽しい。というかそれくらいしか楽しみがない。つらい。

 

 

なお、昔わたしが惹きつけられたところの「海に浮かぶ女性の背後に巨大なタコの触手」のカットは本編には全く出てきませんでした。嘘でしょ。しかし一回観といて詰まらないとは分かっているクセに、放送されるとつい観てしまうこの私のサガがにくい。恐ろしきは幼少時のオブセッションです。三つ子の魂百までとも申しますから、多分死ぬまでにあと2〜3回くらいはうっかり観てしまうんじゃないか。ええー。以上、よろしくお願い致します。

ステイホームちょう大事『クリスタル殺人事件』(1980)※微妙にネタバレあり

クリスタル殺人事件 [Blu-ray]

 

 

原作:アガサ・クリスティー。監督:ガイ・ハミルトン。出演:アンジェラ・ランズベリーエリザベス・テイラーロック・ハドソンキム・ノヴァクトニー・カーティス。往年の大女優マリーナ(エリザベス・テイラー)と、その夫で監督のジェイソン(ロック・ハドソン)。マリーナは心を病んでいたため長いブランク状態にありましたが、再起を賭けて新作の撮影に臨みイギリスの片田舎に長期滞在中。かつての名女優を歓迎して村は総出でお祭り騒ぎです。そのパーティの席上で地元の女性が毒を盛られて死にます。この不可解な事件に首を突っ込むのがご存知ミス・マープルアンジェラ・ランズベリー)。彼女は持ち前の推理力とおばちゃん特有の圧、そしてスコットランドヤードの警視である甥の社会的地位を存分に活用して事件の真相を探るのでしたが…。

 

 

※以下ちょっとだけ結末に触れます

 

 


圧がすごい

 

 

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実はカルトなのか?『血のバレンタイン』(1981)

血のバレンタイン [DVD]

 

監督:ジョージ・ミハルカ。主演:ポール・ケルマン、ロリー・ハリアー、ニール・アフレック。アメリカ東部のとある鉱山町。そこで20年前のバレンタインデーに起こった悲劇。早く帰ってバレンタインのパーティに行きたい鉱夫が安全確認を怠ったため爆発事故が発生、5人が坑内に生き埋めになってしまいます。6週間後、捜索隊は奇跡的に一人の生存者を発見しますが、彼は仲間の死体を食べて生きながらえたという地底版「生きてこそ」状態。救出された彼は事故の原因を作ったうっかり鉱夫をピッケルで惨殺して心臓をハート型の化粧箱に詰め「二度とバレンタインにパーティーするんじゃねえ!」と呪いのメッセージを残して精神病院にぶちこまれます。そして20年後。その事件もすっかり風化した今、ほとぼりも冷めたよネと町はバレンタインのパーティを企画。昔の悲劇を知る年寄は「最近の若いもんは…」と苦い顔ですが当の若者はステディといちゃいちゃしながら街中の飾り付けに余念がありません。そんななか、町長のところにハートの化粧箱でデコられたホカホカ心臓が送りつけられます。やつが…やつが帰ってきよった!20年前の呪いじゃ!パーティは中止じゃ!となるはずが血気盛んなヤングメンは若さゆえのバカを存分に発揚。独自にパーティをひらいて自ら標的に。かくてパーティに参加した若人は次々と血祭りに挙げられてゆき…。

 

 

13金に始まる80年代初頭のナイフスラッシャー・ムービー群の一つに数えられる映画ですね。『プロムナイト』とか『テラー・トレイン』とか『誕生日はもう来ない』とか『デビルスピーク』とか、当時はこのような荒みきった映画が毎月のように公開されており、いたいけな小学生だったわたしも親が購読していた「スクリーン」誌を貪るように読んでいたためこの手の映画の知識がピチピチした頭脳に吸い込まれていったのです。とはいえ映画の内容が内容ですし、四国の片田舎ではそもそも上映もままならぬため、知識だけは脳に残ったままの耳年増状態でこの歳になったところ、Huluが何を血迷ったのかオーパーツのようにこの映画をラインナップにぶっこんできたのでこれはもう観るしかないだろう!と妻や子供の目を盗んで鑑賞に至ったわけです。

 

 

予告編らしいが、すごくどうでもいいカットがサムネに

 

 

映画のキービジュアルは、ガスマスクをかぶった鉱夫姿の殺人鬼がピッケルを持って佇む姿で、13金のホッケーマスクやいけにえのレザーフェイスのようなアイコンを狙っており、これはこれでなかなか。冒頭、このガスマスクの鉱夫二人がコーホーコーホーとダースベイダーのような息遣いで廃坑の奥に潜っていき、何事ぞ、と思っていたら鉱夫の片方がマスクを外して出てきたのは微妙にトウの立った金髪美女。もろ肌ぬいでもう一方の鉱夫をうっとりと撫で回します。マスクから伸びた管をアハンウフンと怪しげな手付きでナデナデするあたり、おや冒頭からサービスシーンか。いいぞもっとやれ。と思っていると金髪美女は壁に押し付けられピッケルの先で串刺しになってしまいました。この手の映画の常として「スケベな行いに及ぶカップルは必ず死ぬ」という鉄の掟がありますが、及んだ本人が率先してそれを実行というのはなかなか珍しい。

 

 

また別の常としては、どうでもいい人間関係で尺の水増し、という様式美もありますがそれもきっちり守られ、主人公の鉱夫とそのライバル、間に挟まった娘との三角関係、という一周回って安らぎを覚えるレベルの水増しが図られており、ふるさとに帰ってきたときのような安堵感が味わえます。そのような常を踏まえつつ人が殺されていくいっぽう、町民の動揺を抑えるため事件を隠蔽して逆に被害を大きくするという警察の様式美を押さえたボンクラさも見逃せません。

 

 

その警察の隠蔽により事件の進行に全く気づかない若者たちは、パーティの中止に憤ってみなぎる若さを持て余した結果、そうじゃ鉱山事務所の娯楽室が空いとるがね、そこでパーティじゃ!おお騒ぎじゃ!と自主的につどい、飲めや歌えやつがえやの大騒ぎに。犯人氏がそれを見逃すわけもなく、こっそり抜け出してよろしくヤリ始めたカップルなどを真っ先に血祭りに上げるのでした。

 

 

さらに盛り上がったヤングメンは「ねえ~ちょっと~あたしぃ坑道って入ってみたコトないんだけど~」という娘っ子の飛んで火に入る発言を皮切りにぞろぞろと真夜中の坑道に入り込むというヒヤリハット事例を体現。この好機を犯人が見過ごすはずもなく、順調に減る若者の頭数。以後真っ暗な坑道のシーンがメインなので何が起こっているかよくわからず、暗い画面に反射する私の真顔とよくわからない画面内の出来事がオーバーラップし続けるという斬新な試練を体験しました。

 

 

そうこうしているうちに犯人の正体が発覚し、後味の悪さを残して映画はすっぱり幕切れを迎えますが、このあたりも様式美を守っており三周ぐらいした結果の安らぎを覚えます。そしてエンドクレジットにかぶさるバレンタインの呪いを歌いあげた主題歌。これがまた物悲しいカントリー風味のソフト・ロックでその泣きの曲調と結末とのギャップがすごい。ついでに言うと音楽もちょっと暴走気味で、サスペンス場面の音楽はまだしも、主人公と元カノの愁嘆場になると突然メロメロの大甘音楽が流れ、そこだけ急にフランス映画みたいになる居心地の悪さはまた格別です。

 

 

脚本、演出、演技による三位一体のゆるさは大目に見るとして、13金にあたりにくらべると殺人シーンまでゆるいのはジャンル映画としてどうなの、と思いますが、どうもこれゴアすぎ部分がかなりカットされたマイルド版らしく、当時本国で公開されたのもこのバージョンらしい。ひるがえって日本での公開時は逆にノーカットだったようで、当時の日本の興行界は今思うとかなりどうかしていたのではないでしょうか。なお現在完全版はブルーレイの特典映像でしか見られないらしく、そっちを観るとゆるゆるだった印象もいくぶん変わってくるようです。また原題の”My Bloody Valentine”をそのまま名前にした海外の著名バンドもあったりするので、もしかしたらカルトな一作なのかもしれませんが、だったところでどうなるというものでもない。以上、よろしくお願い致します。

 

 

血のバレンタイン (字幕版)

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  • 発売日: 2016/07/01
  • メディア: Prime Video
 

 

なんで戦ってたんだっけ『ジョン・ウィック:パラベラム』

ジョン・ウィック:パラベラム [4K UHD+Blu-ray ※日本語無し](輸入版) -John Wick: Chapter 3 - Parabellum 4K-

 

 

監督:チャド・スタエルスキ。主演:キアヌ・リーブス。お待ちかねの第3弾ですね。前作で殺し屋組合の掟を破ってしまい、世界中のその筋の方々から狙われる羽目になったジョン・ウィックさん。1時間後にはどえらい賞金がマイ首にかかってしまう。さあこれからどうなる!というところでの「つづく」だったので続編が大変待ち望まれていたわけです。上映前に前作までのあらすじを超ダイジェストで見せてくれる『ジョン・ウィック:フラッシュバック』という便利動画が流れるので初見の方もまあ安心。

 

 

で本編。そういう前提なので最初から細かい説明抜きでガンガン飛ばしてます。ハナからボリューム全開で行くぜ!というわけでさっそく築かれる死体の山々。作り手もコレでもかと殺し合いのアイディアを詰め込みまくっており、ごつい本で殴ったり雪合戦のようにナイフを投げ合ったりと中身はやんちゃの限りです。ナイフをゆっくり眼窩に刺したりマサカリが頭蓋にめり込んだりとゴアな描写もあったりするので要注意ですね。

 

 

また馬のお尻をぺんぺんすることによって後ろ足を蹴り上げさせ敵を吹っ飛ばす「馬キャノン」、訓練された犬が股間を噛みちぎる「犬バサミ」などのわくわく動物凶器も登場。なお、あれだけ銃が撃ちまくられ刃物も飛び交うなか、馬や犬は傷ひとつ付かない丁重な扱いで、動物の命が人間よりもはるかに重いのがジョン・ウィック界のジャスティスでした。

 

 

撮影の裏話映像。本編映像もけっこう出てきます。

 

 

しかもさすがのジョンさんもこのまま逃げ続けるのはちとキツイ。着替える暇もありません。昔の顔なじみも「いやあんた助けるとこっちもヤバいんだよ」と助けの船を出しませんし、困った。こうなったらちょっと強引だけど昔の貸しを返してもらおう、ということでロシア系の地下組織に助けを求め、そこの因業極まりない女首領(なんとアンジェリカ・ヒューストン!)に「お助け回数券まだ残ってるんで助けてください」「あんた助けたらこっちがヤバいんだよ」「回数券残ってるんです(詰め寄り)」「チッしょうがないね」という感じで船を手配してもらってモロッコに落ちのびます。

 

 

このロシア系地下組織がまた業が深いというか、女子にはバレエ、男子には格闘を叩き込んではジョンさんのような職業殺人家を輩出する殺しのモード学園みたいなことをやっており、どうやらジョンさんもここの卒業生らしい。このへんがなんかスピンオフで別映画になるという話もありますが、それはそれで面白そう。

 

 

いっぽう組織の方は造反者がでたことを素早く察知して「裁定人」なるいけ好かない女をよこし、ホテルのオーナーや地下組織のリーダーに「ああたジョンを裁くんだったら、なぜちょっと逃げる猶予を与えたの?甘いんじゃない?」「ああたジョンに武器渡したでしょ?どういうこと?」と詰め詰めで迫り、あげく「一週間あげるから身辺整理してよね。後釜よぶから」と取り付く島もありません。

 

 

この裁定人、自らの懐刀としてゼロなる殺し屋(マーク・ダカスコス!)を雇うのですが、このひと「にんじゃりばんばん」が流れカウンターで猫が爆睡する場末の寿司屋の店長で、発音の怪しげな日本語と日本語訛りの英語を駆使し、いっそう怪しげな手付きでフグを雑にさばいて客に出したりします。情報量多いな!このシーンのカオスっぷりはシリーズでも随一です。

 

 

歌唱の御本人がおでむかえ

 

 

このマーク・ダカスコスの殺し屋がなかなかよろしい。流石にお顔はお年を召された感じが否めませんが、技はキレキレで、これどう見てもジョンさんより強いだろ感。顔も凛々しいながら目の光が異常者のそれで悪役感バッチリ。ただ時としてあばれる君と荻昌弘先生がフュージョンした姿に見えてしまう瞬間がないこともない。また油断すると発音が無理目の日本語を折々にぶっ込んでくるので、もうちょっとなんとかしてあげられなかったのか、とつい思ってしまう。エンドクレジットみると日本語のトレーナーがついておられたようですが。しかし。

 

 

とまあ話は組織全体を巻き込んだ大抗争劇に発展していくわけです。行く先々で刺客に襲われこれをドスンバタンと排除していくジョンさんですが、アクションシーンの質、量ともにあまりにも過剰になりすぎたせいか「ほえええ」と口アングリで鑑賞しつつも「しかしこれなんで戦ってんだっけ」と我に返る瞬間がなくもありません。いつ果てるともわからない激しい戦いを延々と繰り返すうちに、事の経緯がすっかり頭から蒸発し、なんのためにこんな大殺戮を続けるのかだんだん判らなくなってきます。ロシアンマフィアのバカ息子を相手にしていたころが懐かしい。

 

 

そんなこともあって最後の方はこちらも感覚が麻痺し、目的の曖昧な殺しのフルコースを満腹状態の胃に詰め込まれる感じになってきます。アクション単体はそれはもう迫力満点で、一つ一つは大変痛快なのですが、やっぱりそれをつなげる話が希薄だと燃え度が段違いというか。造り手としてはサービス満点を目指したまごころの制作とはいえ、やはり。

 

 

しかもこれ、完結しないときた。まだ続くのか!次回こそは組織の上層部との全面戦争であのいけ好かない奴らをギタンギタンにしてくれるであろうと期待しますが、しかしモタモタして全5部作とかにしてるとキアヌも還暦をむかえちゃうぞ!急げ!

 

 

余談。音響がすごく良かったですね。アクションシーンの発砲音、打撃音は映画館の音量で聞いてこその迫力なので、これはぜひ劇場で体感していただきたい。終盤にでてくる徹甲弾の音響なんか、それまでの銃器とは段違いの威力を音圧と重低音でバッチリ感じさせてくれます。音効さんナイス!

 

 

 

 

 

昭和のドラッグ映像『影の車』(1970)※ネタバレあり

影の車

 大事なことなので「松本清張」と二回書いてあるDVDジャケ

 

 

原作:松本清張。監督:野村芳太郎。主演:加藤剛岩下志麻。旅行会社勤務の加藤剛は仲の冷え切った妻(小川真由美)との生活に虚しさを感じていましたが、ある日通勤バスのなかで同郷の岩下志麻と再会します。岩下は小学生の一人息子を抱えた後家さんで、会話を重ねるうちに二人の仲はたちまち急接近。とうとう不倫の関係となってしまいます。愛人とのたまさかの二重生活を満喫する加藤剛ですが、気になるのは岩下の連れ子。この子がどうしても自分に懐かず、それどころかほんのり敵意すら匂わせてきます。やがてそれは次第にエスカレート。6歳の子供にネコイラズいりのまんじゅうを出されたり、ガスの充満する部屋に閉じ込められたりと、連発するヒヤリハット事例に次第に追い詰められていく加藤。妻とは別れるからしばらく待ってほしい。あら嬉しいわたし待つわ何年でも。とひとしきり盛り上がった夜の翌朝、目覚めた加藤は目の前に連れ子が斧をもって立ち尽くしているのを見つけ、ヒッ殺される!と逆上。ついに連れ子の首をぐいぐい締め上げるのでした。逮捕され、事の次第を説明し正当防衛を訴えても「6歳の子供が殺意なんてもってるわけないだろ!」と取り合ってもらえず、逆にとんでもない野郎だこの卑劣漢めと罵られる始末。しかし加藤には「年端も行かぬ子供にだって殺意はあるんだ…!」という奇妙な確信がありました。その理由とは…。

 


これ、小学生の頃でしたか、日曜の午後のテレビでほぼ全編観たのを覚えています。よっぽどインパクトがあったんでしょうねえ、つい最近Huluで観返してみましたが内容も場面もかなり正確に覚えていましたよ。不倫がテーマだけあって、夜中に寝付いた連れ子の横で加藤と岩下がはっすはっすと絡み合うシーンが連発され、当時の自分としては何かこうものすごくインビなものをみている気がしましたね。うわー。なにやってるかよくわかんないけどなんかヤラシイ。そのとき確実に母親が一緒だったはずなんですがよくこんなん小学生に観せてたな。そもそもなんでこんなの日曜の昼間っからやってんすか。いやー昭和はいろいろとざっくりしてました。エイジ・オブ・雑。

 


しかし大人になった今観返すと…なんだか居心地が悪いというか、猛烈にいたたまれない映画でしたね。なんと言っても不倫の映画ですから、ラストは三方丸く収まってみなニッコリ、なんて結末になろうはずもなく、逆に誰一人幸せにならない地獄への階段をじわじわ降りていくような内容です。最初は「あたし一生このままでもいいの、あなたとこうしていられるなら…」と殊勝な事を言っていた岩下志麻も次第に「一緒になりたいわ…」と着実に外堀を埋めてきますし、別れたいと思っていた妻(しかも小川真由美ですぜ)も急に「子供がほしいの…」としんみり言い始めるので観ているこっちの肝は冷えっぱなしです。そんな薄氷を踏むような不倫生活に、得体のしれない殺意をトッピングしてくるのが岩下の連れ子なわけですね。

 


はたして連れ子に明確な殺意があったのか無かったのか?どちらにでも取れるような語り口なのがミソ。ネズミの死体(本物)をぶんぶん振り回したり、ネコイラズを吐き出す加藤の姿を冷徹に見つめる連れ子の姿はうっすらと不気味。この子役がまた常時仏頂面でまあ絶妙に可愛くない。何を考えているか全くわかりません。その反面、連れ子から感じられる殺意はすべて加藤の妄想で、もしかしたら単なる偶然と思い込みの産物かもしれない、という含みも残してあります。

 


いずれにせよ、加藤はなぜ子供に手をかけるほど精神的に追い詰められたのか、という所がこの映画のキモです。それを物語るのが加藤の子供時代を描いた回想シーン。自分の子供時代の経験が、妄想に形を変えて大人になった自分を追い詰めてくるという因果応報を暗黙のうちに語ります。この回想シーンがまた凝っていて、ギラついたコントラストと狂った色調、荒れまくった粒子で、ダビングを重ねた裏ビデオみたいな画質になっており、思い出は遠い昔の美しい宝石にあらず、ただ過ぎ去った己の所業なり、ということを視覚に訴えかけてくるのでした。この効果の合成のために膨大な時間とフィルムを使ったということですから作り手もただの回想シーンにしたくはなかったのでしょう。当時としてはものすごくドラッギーな、悪夢のような質感です。

 

 

 まだまだ平和な冒頭シーン(Youtubeサイトでご覧ください)

 


ラストはこの凝り凝りの映像でギョッとするような真相が描かれますが、凄惨なはずの光景が異様に美しく、その落差が強烈なインパクトを生み出しています。芥川也寸志の音楽も今だ、今しかないという勢いで盛り上がるなど。終盤、加藤が逮捕されたためオロオロ錯乱する岩下志麻の演技も必見。これほどアラレもなく取り乱す岩下志麻を果たしてあなたは観たことがあるでしょうか!後年の肝の座った演技からは想像もつきませんが、やりすぎになるかならないかの境界をギリギリ攻めてくるオロオロ感がアツい。加藤剛も往年の大岡越前感を打ち捨てるような小物っぷりで、たいそう端正な顔面にもかかわらず、妻からも愛人からも「ほほ…あなた気が小さいから」と半笑いで言い捨てられる残念さを、スクエアなメガネ着用で手堅く演じています。そのような真面目な顔をしていながら不倫など言語道断、とお白州で大岡越前も説教でしょう。

 


なぜ加藤剛は連れ子の殺意を信じて疑わなかったのか?それは当の加藤自身が幼少の頃、自分の母親と関係を持っていた「おじさん」を事故に見せかけて殺害していたからでした、という衝撃の真相。その過去の罪が今、妄想に形を変え、自らを破滅の淵に追いやったという皮肉。そしてその過去を悪夢のように描き出すビデオドラッグのような映像。静かに破滅へ向かうストーリーとあまりに苦い後味。観た者にもれなく呪いをかけてくるトラウマ度の高い映画だと言えましょう。