カジノロワイヤルの手帖

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羅生門

羅生門 [DVD]
VHSで録り貯めてた映画を討伐キャンペーン実施中。いや自分でも一体何を書いているのか判りません。あと妻に「今日『羅生門』観たよ」と言ったら「『TAJOMARU』に対抗してんの?」と言われましたがはなはだ心外でした。キー!偶然よ!前々から録画してたのを観たかったのよ!まったく失礼しちゃうわ。もう…(Tシャツをセクシーに脱ぎながら)


まあ前置きはともかく、感想です。タイトルこそ『羅生門』になってますが、原作は芥川龍之介の「藪の中」。もともと原作は読んでいたので大体話は知ってました。とある夫婦とそれを襲う盗賊。盗賊は夫を縛り上げ、その目の前で妻を手込めにするのであった…というこれだけでもう映画の一本も出来てしまいそうな葛藤爆弾ですが、その後夫は何者かによって殺害されます。その真相はどうだったのか?というのがこの話のキモで、盗賊の言い分、妻の言い分、そして死んだ夫が巫女の口を借りて語る言い分、その全てが食い違っている。さても人間の言う事は信用ならん。真相は薮の中…。というかそもそも「薮の中」という言い回しの元ネタがこの話であるらしい。海外では映画化された『羅生門』のタイトルを用いて、こういう真相が分からない状態のことを「ラショーモンのようだ」というらしいですから如何に芥川のこの小説、及び黒澤のこの映画が大きな影響力を持っているかが判ります。以上たった今Wikipediaで調べました。


さて映画は芥川の小説から一歩踏み込んで、独自の解釈による四つ目の真相を提示し、人間の持つ欺瞞性を暴くとともに、人間は本来信用ならざるものであるけど、しかし信用してみる価値はまだ残っている、という希望をもたせた結末になっています。ラストシーンの舞台となる半壊した廃墟のごとき羅生門に、この映画が作られた1950年という時代の、戦渦の跡も生々しい日本の情景がダブり、当時の日本が戦争のダメージからなんとか立ち直ろうとあがいてる姿が思い浮かびます。


役者はいずれも熱演ですが、特に当事者三名がすばらしい。盗賊(多襄丸)の三船敏郎は決して上手い感じはしないのですが、そんなことがどうでもよくなるような凄まじい男臭さ。オスのフェロモン大分泌。全世界の女性をウットリさせたのも納得です。そして妻の京マチコ。初々しく瑞々しく、はじけるような美しさ。か、カワイイ。吸い付きたい。それでいてしたたかさも見せる熱演です。夫の森雅之は、しじゅう縛られっぱなしで気の毒ですが、眼だけで言いたい事を判らせてしまう地味な名演。とくにそのシニシズムに満ちた眼差しは観ているこちらを射すくめるような鋭さがあります。


特筆しておきたいのは撮影の美しさ。山中の場面では、森の中の木漏れ日を美しく捉え、良く動き、躍動感と生命力をほとばしらせます。このカメラワークが、ともすれば陰惨になりがちなこの話を、積極的に人間のバイタリティを称揚する映画として成り立たせています。


一つの事件を多角的に何度も語りなおすという構成、登場人物の独白の場面における徹底した一人芝居と、世が世ならATGの映画のような前衛的な映画になっていたかもしれませんが、それでもなお観るものを画面に釘付けにさせる圧倒的な映画力。面白かった!日本映画ブラボーです。