カジノロワイヤルの手帖

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ラストシーンに戦慄せよ!『SF/ボディ・スナッチャー』(1979)

お久しぶりです。人類はSNSは程々にしといてブログとか個人サイトを頑張ったほうがいいのではないのか、と思ったので更新してみる気になりました。

 

 

で、表題の映画です。監督:フィリップ・カウフマン。宇宙からなんだか水でもどした寒天みたいなのが降ってきました。それは道ぱたの葉の上で根を生やし花を咲かせます。その花を珍しがって家に持ち帰ってきたエリザベス(ブルック・アダムス)は、翌朝同棲中の恋人が見た目はそのままにまるで別人に変わっていることに気づきます。混乱した彼女は事態を同僚のマシュー(ドナルド・サザーランド)に相談。ははまさかそんなぁ。と半信半疑の彼も、行きつけの洗濯屋の旦那の「うちの奥さん別人になっちゃったでよう…」という嘆きを耳にして「ええ…」と思っていたところ、自宅の庭先で巨大なえんどう豆みたいなのから自分そっくりの人体がもりもり誕生しているのを発見。こらマジや!と逃げ始めますがすでに街は体を乗っ取られた無表情の人間で溢れかえっており…。

 

 

親しい人や隣人が、いつの間にか得体のしれないものにすり替わっている、というシンプルながら恐ろしい着想で何度となく映画化されているジャック・フィニィの小説「盗まれた街」の2回目の映画化ですね。ボディをスナッチされた方々は一様に個人の意志をなくしてしまい、人間だった頃の社会性や記憶を保持しながらも、愛や情を失ってただひたすら同胞の増殖のためだけに行動する、というあたりが、なんとなく全体主義への恐怖の戯画化、暗喩みたいに思われます。

 

 

 

 

アメリカ映画ということ、また、劇中アジア系を始めとした移民系の人々が多く登場することから、反共、反社会主義の暗喩を込めた映画なのかしらん、とも思えますが、原作、そして特に一回目の映画化の際は1950年代の赤狩りを念頭に作られたといいますから、そこにレフトライトの区別はなく、人間が自由意志を奪われることへの恐怖を根底に込めた映画と言えるでしょう。

 

 

 

 

…という深読みもできつつ、巨大なさやいんげんからスジスジもあらわな出来かけ人体がぬるっとお産まれになる様はなかなか気色わるくてよろしいですね。スナッチされそうな4人が夜の街を逃げ惑う様もサスペンスがあります。

 

 

そういや大昔に流行った人面犬なんてのも元祖はこの映画でしたね。よく見ると普通のわんこにゴムのおじさんマスクを被せているのが丸わかりですが、予備知識ゼロで観るとこれは結構ギョッとするキモさじゃないか。CGとかはまだまだ遠い未来の映画です。いいじゃん。生成AIなんかに比べたらよっぽど風味があるよ。こういうアナログな質感を今後は珍重していきたい。

 

 

主人公マシューの友人で若々なころのジェフ・ゴールドブラムが出てて、まあシュッとして男前なこと〜。その妻のベロニカ・カートライトはおとくいの顔筋全体を使った泣き顔演技が炸裂します。一番役者として脂が乗ってたころのドナルド・サザーランドはいつもの素で恐い顔面でトクしてますが途中はちょっと緊迫感が薄いかな?やっつけお仕事?なんて思ってたところラストシーンで背筋が凍る演技を爆発させさすがです。このラストシーンと、その後に続く無音のクレジット画面の恐怖だけでこの映画を見る価値がありますぜ。