カジノロワイヤルの手帖

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シシー・スペイセクという依代『地獄の逃避行』(1973)

地獄の逃避行 [Blu-ray]

ぞんざいな邦題はTV放送のときにつけられました

 

 

監督:テレンス・マリック。主演:マーティン・シーンシシー・スペイセク。1950年代のアメリカの田舎町。清掃員をやりながらくすぶっていた青年キット(マーティン・シーン)は、ある日庭先でバトンの練習をしていた少女ホリー(シシー・スペイセク)に声をかけてなんとなく仲良くなります。特に激しい感情もドラマティックな展開もなく、なんとなく恋仲になる二人。しかし体の関係が出来たあたりでホリーの父ちゃんは激怒です。「もう娘に会うな!」と言われても会いたさがつのるキット君。なんとなく駆け落ちしようかなとホリーの家に忍び込んで勝手に荷造りしているところを父親に見つかり、なりゆきでこれを射殺。なんとなく家を焼きホリーを連れて逐電します。そして行く先でだらだら殺人を重ねつつ二人旅を続けるのでしたが…。

 

 

実は。私は幼少のころからシシー・スペイセクという人が怖いのです。父の「スクリーン」誌に載っていた、頭からおびただしい血を浴びて驚愕の表情をしている写真。当時小学生にもなっていなかった私はビビリました。なんて怖い写真だろう!というかなんて怖い顔の人だろう!怖いと言っても、オラついてるとか凶暴そうというのでは決してない、気弱さの中に不吉さをはらんだ禍々しい顔。いまネットでその写真を探してみましたが…ありました。この写真だとかぶった血の跡と驚愕の表情のためにちょっと顔がドクロっぽくなっちゃってるのがまた…。それに頭から血を浴びるという幼稚園児の理解をはるかに超えた目に遭わされている、という二重のインパクトで当時の私は震え上がったのです。まったく!映画というものは!何てヒドいことをしでかすのか!

 

 

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問題の写真(ひいいいい)

 

その映画が『キャリー』で、写真の人はシシー・スペイセクという女優である、という知識はあとからついてきました。小学生になり、夏休みに月曜ロードショーで放映されたものをこわごわ観たところ、こっちはさらに怖かった。血を浴びて怒り心頭となったシシー・スペイセクの恐ろしさよ!肝が座ってこれから殺戮を起こそうとしている氷のような表情。その後母親と泣き崩れているときの、哀れさが極まって不吉の域にまで達してしまった顔。そして最後のあのシーン!これは怖いぃ怖すぎるぅぅ!というわけで以後シシー・スペイセクは私の「こわい箱」のド真ん中を占める恐怖の女王になってしまったのです。

 

 

その後、大人になってから改めて『キャリー』を観返しましたが、成長して恐ろしさには耐性ができた分、今度は虐められたり家庭環境がひどかったりと不幸なシーンがあまりに哀れで、いっぽうプロムのシーンでは別人のように美しく輝いていたりと、その極端な振れ幅にシシー・スペイセクという女優の凄さを知ったのでした。キャリーという人物を身体におろして実体化する、依代としての女優。

 

 

いや『キャリー』の話が長くなりましたが、それを踏まえた上での『地獄の逃避行』です。ここでのシシー・スペイセクシリアルキラーに連れ回される娘っ子の役どころですが、ギリギリ自分が手を下していないだけで、実態は共犯に限りなく近い存在と言えます。自分に依存しているキットが一緒に旅を続けるために殺人を犯しているのは明白ですが、その自覚がないままなんとなく付き従って結果的に彼を殺人に走らせている、というかなり厄介な共犯関係です。ホリーは設定上は15歳なのですが、演じるシシー・スペイセクは当時20代前半。なのに画面上ではどうしても15歳にしか見えない。痩せて未成熟な体つきに、化粧っ気のないそばかすだらけの顔。とくに何か深く考えてはなさそうな表情。流されるまま男についていく子供特有の主体性の無さ。

 

 

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ティーンにしか見えんよなあ…


 

シリアルキラーの犯行を描いた映画ながら、殺人の場面は驚くほど高揚感がなく、争いらしい争いもほとんどありません。特徴的なのが憎しみという感情を表出する人がほとんどいないこと。被害者たちは抵抗らしい抵抗もせず、怒り狂うこともなく「なんか撃たれたみたいなので死にますー」的に仕方なく死んでいきます。キットが逮捕されたあとも警察は罵ったり脅したりせず、むしろキットを連行しながら「幸運を祈る」なんて言ってる。殺す方も殺す方で特段逡巡も良心の呵責もなく、なんか面倒だから撃ちました、くらいのぞんざいさですし、それを傍観しているホリーもなにか他人事のような感じです。この現実感のなさを体現しているのがシシー・スペイセクという依代で、そのあまりに自然な傍観者の佇まいがこの映画の浮遊感を加速しています。

 

 

ここでの彼女は積極的に演技をしているというよりも、求められるままホリーという役柄の素材として自らの身体を提供している印象です。ホリーをみずからの身体に憑依させていると言ってもいい。その自然さは只者ではなく、やはり依代としての能力の大きさを感じます。もはやホリーと同化したシシー・スペイセクは、この映画が持つ浮遊感、無目的さを、ごく自然に体現しています。

 

 

もうひとり、キットを演じたマーティン・シーンの、ちょっと常人の思考からはかけ離れた行動と、殺人に対する頓着のなさ、行動の無目的、無思想を体現した演技がまた映画から現実感を奪っていきます。その浮遊感が美しい森や荒野の風景と共にに描き出され、シリアルキラーの物語なのに何かおとぎ話をみているような寓話性を感じさせるのです。

 

 

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ちょっと疲れてきました

 

 

そんなキットとの旅が煮詰まってきて、だんだんと「あたし何やってるんだろう」と自分の置かれている状況に疑問を呈し始めるホリー。そのとき彼女の顔には15歳の少女ではなく倦み疲れた女の表情が浮かびますが、この疲れのにじませ方には、依代としてではなく女優としての方のテクニカルな凄みを感じます。ただ怖い顔の人ではなかった。すごい依代であり、すごい女優なのだ、と私は感動に包まれるのでした。でもやっぱり怖いけど。

 

 

 

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