カジノロワイヤルの手帖

banの映画感想&小説漫画音楽路上日常雑感。

最近読んだ本のメモ(2023年11月)

本もぼちぼち読んでいるので感想などメモ。

 

「メルカトル悪人狩り麻耶雄嵩講談社文庫)

メルカトル悪人狩り (講談社文庫)

 

初読。ガチガチの本格ミステリでありながら、本格の枠組みをバキバキに破壊してくるミステリ界のアヴァンギャルドこと麻耶雄嵩。「銘」探偵ことメルカトル鮎がまた突拍子もない論理で読者の常識をタテヨコナナメに揺さぶってくる前衛ミステリ短編集。前作「メルカトルかく語りき」が、本格でありながらミステリの最後の砦まで爆破してくる大問題作だったため、今回は一体どのようなやらかしを見せてくれるのか…とワクテカで読みました。流石に前作ほどの破壊はないものの、推理前提がどんなに不条理で非現実的でも、それを前提として組み上げられた論理が正しければミステリとして成り立つ、という荒業をメルカトル鮎という特異な存在で可能にしてしまう、という相変わらずの唯一無二っぷり。意外にも事件や舞台、謎や犯行の動機は驚くほど平凡ですが、そうした細部の装飾は短編という限られた尺のなかではロジックにとってノイズにしかならないということなのでしょう。それだけに論理の端正さとメルカトル鮎の異常さが際立ちます。そんななか、館!門外不出のカルテット!ゲーテファウスト!吾も人の子なり!とあからさまにあからさまであからさまな「黒死館殺人事件」パロをぶっ込んでくる一編「水曜日と金曜日は嫌い」がミステリファン的にはニヤニヤが止まらず大好き。

 

 

 

 

 

「時の娘」ジョセフィン・テイ(ハヤカワ文庫)

時の娘

 

初読。捜査中マンホールに落ちて入院、退屈のため死にそうだった刑事が、持て余した暇を潰すべく歴史上の人物の謎に迫る、という歴史ミステリの嚆矢かつ名作。英国の薔薇戦争とか百年戦争とか高校の世界史で習った覚えがありますが全然おぼえとらんわ!それを背景に、稀代の極悪人と謳われるイングランド王リチャード三世は本当に悪人だったのか、を純粋に文献からのみ推理します。歴史上の人物の容疑を現在の警察機構の目で洗い直すという試みが画期的だったと思われますが、日本人にはエドワード四世とかリチャード三世とか言われてもなかなかピンと来ないのが痛いところ。向こうでは信長とか秀吉レベルの常識らしいですが三世と言われればルパンしか思い浮かばない自分にとってはたいそう高いハードルでした。しかし丹念に読んでみると次第に真相が見えてくるのが面白く、歴史もそれを編纂する者や、そのバックに居る者の意思一つでどうにでも誘導できるんだぜ、と喝破しているのが痛快です。題材が題材だけに堅苦しくなりそうなところを、ところどころユーモア味でくだけてみせる文章がよく、小泉喜美子の訳もまた伸びやかで読みやすい。なお、この本は古書店で求めたのですが、前の持主が作ったと思われる家系図カードが挟まっていて、これが大変役に立ちました。こういうのがあるから古本は面白い。ありがとう前の持主!

 

 

 

 

「文藝百物語」東雅夫:編(角川ホラー文庫

文藝百物語

 

初読。90年代後半、名だたるホラー作家たちが都下の古旅館に会し、夜を明かして怪談を百編語ってみた、という顛末の一部始終を書き起こした実録百物語。現在なら生配信とかやっちゃうだろうな〜という企画ですが、語りを文章にすることで練られた文章にはない臨場感がうまれ、かつ生々しい怪談情緒も味わえるというなかなか珍しい一冊。のちのホラーブームで大きな役割を担った「三角屋敷」「山の牧場」「私にも聞かせて」という著名な怪談が、物語化される前の口伝の状態で載っているのも興味深いし、有名になるだけあってこの三篇は本作中でも際立ってコワい。百物語といえば終わったときに実際に怪異が起こるものとされてますが、この会の結末がどうなったかは読んでのお楽しみ。

 

 

 

「続百鬼園随筆」内田百閒(新潮文庫

続百鬼園随筆 (新潮文庫)

 

初読。発行当時大ベストセラーとなった「百鬼園随筆」の続編があったのか!と読んでみましたが、半分くらいは百閒が十代~二十代のころの文章で、とてもその歳のものとは思えない老練さ。この人はただの偏屈じじいではなくそもそも凄い名文家だったのだなと思わせます。特に夭折した友人、先輩を追悼する2つの文章が、ぶっきらぼうな文体のなかに喪失感が淡々と綴られていて、一読胸に迫るものがあります。